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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.21

子供たちの成長は、日々の積み重ねの隙間に、大切な表情が見え隠れする。そこに気づけるのは、一番子供と共に過ごす時間の長い人になるだろうか?

具体的なエピソードがたくさん出た、この日のバオバヴカフェ。印象的だったのは、療育の場に求められるのは、発達凸凹児にとっての「挑戦」の場でないかという点。決して、そこのスタッフと一緒にいる時間が多いわけではないが、的確なかかわりのもとで、その子の何かが「拓いて」いくということの大切さ。

<雑感>(以下、文責:花沙)
 ここ数年、発達障害(発達個性)についてメディアで取り上げられることも多く、そのような「困り」を抱える人がどうやらいるらしい、という認知は広がってきている。あるいは、「自分にも当てはまるかも」と感じて受診する人も増えた。一方で、その「困り」の内容が個人によって多様だったり、濃淡が大きいため、「困り」を感じる人も声を上げ辛く、周囲の理解も得にくい。その結果、周囲は「気にしすぎ」、「気のせいだよ」、「成長すれば治るんじゃなか」、「甘やかしすぎ」、「そんなの誰だってそうだよ」、「もっとポジティブにならないと」という、言葉がけに終始してしまう。
 発達障害(発達個性)は確かに濃淡がある。明らかに「マイペース」に振り切ってしまって、周囲と同調することが全く困難であるケースは、支援の対策も立てやすい。一方、「マイペース」でいることが心地いいけれども、社会の常識(リズム)に同調しなければならないと自らに言い聞かせ、他者の何倍ものエネルギーを使って同調できてしまったケースは、ストレスが溜まりに溜まって、ある日爆発する。癇癪を起したり、他者を傷つけてしまったり、自分を傷つけたり、引きこもってしまったり・・・。突然のことに周囲は驚く。「なぜ?ちゃんとできていたじゃない」、「もっと頑張ればうまくいくよ」、「少し休めばまた出来るようになるよ」という言葉で、当人を追い込む。当人への共感は無い。
 例えば、一般的に人と話すときは視線を合わして話すということが礼儀とされる。しかし、発達障害(発達個性)を抱える人の多くは、人と視線を合わせることがストレスであり、苦痛である場合がある。他にも五感の感覚が過敏すぎ、鈍感すぎ、抽象的概念が理解しにくい、優先順位が立てにくい、などはよくアナウンスされる。分かりにくい困りとして、他者から投げかけられた否定的なニュアンスに過敏に反応しすぎて、他者を攻撃したり、自己を否定するケースもある。

このような、大多数の感覚には当てはまらない場合があると知ること、そこから外れても、何か事情があるのかもしれないと、イメージを広げることが支援であると考える。
 まずは、当人の「困り」を傾聴すること。そこに「共感」はできないかもしれない。しかし、「困り」は存在すると知ること。そこから、当人と周囲で交渉しながら、折衷案でも妥協案でもいいので、とにかく当人と、周囲が少しでも「生きやすい」道を模索し続けることが大切だと考える。


<発達個性が強いさん/グレーゾーンさんの困りごと>
 発達凸凹のある小3のA君は、視界に入ってくる情報の取捨選択に困りがあり、優先順位をつけにくく、不器用で、2つのことを同時にすることが苦手だ。A君は、机の上にたくさんの教科書を出して、それを整理して机にしまうことに時間がかかる。その間に、プリントが前から送られてくる。A君はそれを受け取り、後ろに回す必要がある。その間に、別のプリントが配布され、ぐちゃぐちゃの机の上に、置かれていく。A君は、山積みの机から、配布されたプリントがハラハラと落ちるので、それを拾うことに忙しくなる。その間にまた、前からプリントが送られてくる・・・。みんなと同じリズムでできない・・。しだいにイライラしてきたA君は、大きな声を出して癇癪を起してしまった。
その声にびっくりした周囲のお友達は、A君に腹を立て、「うるさい!」「うざい!」「おまえが悪い!」「のろま!」と責めた。周囲のお友達が、A君のノイズに大きな不快を感じたからだ。A君は、ショックで「自分が悪い」と自己否定をした。
それを知った担任の先生は、合理的配慮を考えた。まず、周囲のお友達に、A君が頑張ってもお片付けに時間がかかることを伝え、手伝ってあげてほしいとお願いした。また、プリントを配布する時間を朝の会と、終わりの会だけにすると決めた。さらに配布するときは、「配布をするので机の上を片付けよう」という一言を加えた。さらにA君の机の上の状態を確認した上で、配布をすることにした。



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