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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.30

前回に続き、書物(「みんな水の中」横道誠)を読み進め、後半は、運動療育についての話題へ。
今回は、教育がご専門の大学の先生もご参加いただき、身近な話題が、歴史的な内容に拡がったり、「人間とは」という、根源的な内容に移行する過程を楽しむ内容となった。書物の内容から、まだ発達障害という概念が存在しなかった頃、この書物に書かれている内容は、例えば「オカルト体験」として扱われたのでは、だったり、フロイドの登場で「精神病の患者が増えた」とされることは、今の「発達障害が増えた」という情報と類似しているのでは、だったり・・「脳科学」等、テクノロジーの発達から「発達障害」ということについて、わかることも増えてきたことと並行して、このような当事者の「文学」の共有の可能性は、どこへいくんだろう・・そんな意見交換がなされた。
それから、先月からの話題をうけ、運動療育の1つである「原始反射エクササイズ」について、意見を交わす。そもそも「原始反射」について、わかっていないことも多く、人間の謎の1つとして、興味深く見続けていきたいところだ。その中で、「無駄が多い動きは疲れる」というコトバが出たのだが、とかく、発達凸凹があると、日々の生活に疲れやすい、という現象があるのは、だいたいの共通認識ということろから、次回、「つかれやすい」ことと、「からだ」について、より情報交換等、進めていけたらと思う。

(以下、文責:花沙)
引き続き、自閉スペクトラム症とADHDの当事者である、文学研究者の横道誠氏「みんな水の中」(医学書院2021)を紐解く。
「私は、現実がつねに夢に侵されているような体感でいる」(p50)
「意識がしょっちゅう混濁しているために、私は文学と芸術を、自分の精神に明晰さをもたらす手がかりにしてきた。というのも文学と芸術とは、混沌とした宇宙に明晰さを与えるものにほかならないからだ。」(p51)
ふあふあと、現実味を感じられない身体感覚に悩まされる横道氏は、その感覚をぴたりと言い当てる言葉や、その他、横道氏のふあふあ感覚を物質的に表現する芸術と出会うことによって、この地球の現実味ある肉体的ともいえる感覚を取り戻しているようだ。
 横道氏のこのような身体感覚に共感することは難しいが、このような身体感覚で生きている人がいる、ということを知ることができる。「みんな同じ」という考え方が遠くに感じ、なぜか私は胃が痛くなる。さらに単純に、人間の脳は多様で複雑で、本当に不思議だなと改めて思う。

その上で今回、参加者の方に紹介して頂いた「NHKスペシャル 赤ちゃん 成長の不思議な道のり」(NHKエデュケーショナルDVD:NHKエンタープライズ2007)を改めて見た。生後まもない赤ちゃんは、歩行のような足運びができたり、単なる音と人間の言語を聞き分けたり、細かな顔の違いを見分けたりする凄い能力がある。ところが、生後半年以降はこのような能力が退化してしまう。これは、生後間もない赤ちゃんがあらゆる環境に対応するための能力だという。月齢が進み環境が定まってきた赤ちゃんにとって、その初発の能力は邪魔になるため、いったん退化する。そして、赤ちゃんの定まった環境に必要な能力を、改めて発達させていくという。この遠回りのような、行きつ戻りつするような、複雑な発達プロセスが人間にとって自然なのだ。右肩上がりに、機械的に発達していくモデルは幻想でしかない。遠回りで、行きつ戻りつで、エラーもあって、エラーをマイペースにフォローしていく。生まれる前の神経発生の時点から、脳はエラーもまあ想定内だからという平常心で、淡々と発達しているように感じる。


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