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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.43

先月のバオバヴカフェでは、ここ最近、ご参加くださっている方のお薦め本を、皆でシェアしました。子供と関わることに際して、9つのポイントが簡潔にあげられているのですが、どれも、このカフェのテーマである「療育にまつわる「からだ」へのまなざし」へのヒント満載で、9つのうち、5つまでにとどめて、活発な意見交換がなされました。そして、もう一つは、下記に花沙さんが書いてくださっていますが、田中茂樹氏の文章を皆でシェア。子供のことを考える時、一番近しいであろう、「親のからだ」をみていくということ。
この大切さは、小さな子供達と関わってきたなかで、ずっと思うところですが、家族の環境など、複雑なことも絡んできます。この辺りは、引き続き、カフェで扱っていきたいところです。

<雑感>(文責:花沙)

 私のほうからは、脳科学者・医師で臨床心理士でもある田中茂樹氏の著書「子どもを信じる」(大隅書店2011)の一部をシェアしました。このような本を読む場合、①子どもの身体についてどのように言及されているのかな、②親についてはどのように書かれてあるのかな、という2つの視点で読むことが多いです。

この本は、子育てをめぐる様々な悩みや苦しみが生じる仕組みを、心理学の観点から解き明かしています。子どもとの望ましいコミュニケーションの在り方を、多数の事例を挙げて説明されています。端的には、「親が子どもに小言を言わない、厳しい言葉を言わない、優しく接する」と、子ども自身にエネルギーが戻ってきて、前向きに自然に変容してくるということが主に書かれてあります。

私が①の視点で印象に残った部分は、「感情を表す言葉はどのように習得されるのか」(p308)です。例えば、嬉しいという言葉を獲得する場面では、トランポリンで遊んでいる子が、「ママ見て」と呼びます。母親は「わー〇〇ちゃん、嬉しいねえ」と子どもの名を呼ぶと、子どもは身体が動いている感覚、動いて見える景色、母親の笑顔や眼差し、自分の心の中で起こる感情などを全体的に味わって、これが「嬉しい」なのだと総合的に学ぶとのこと。痛い、淋しいなどの感情についても、やさしく抱きしめて「痛かったね」「淋しかったね」という言葉を、身体で理解していく・・と述べられていました。

これらは以前のカフェでシェアさせていただいた、感情の社会化やポリヴェーカル理論と通じる内容であり、子どもの身体に何が起こっているのかなという視点を思い出させてくれます。

また、②の視点では、最後のあとがきも印象的でした。それは、出来るだけ子どもに小言を言わないようにして、やさしく接することを心掛けてみた母親が、子どもが元気に明るく変容してきたことを喜びつつも、母親自身が幼少期から親に大事にされてこなかった記憶がよびさまされて苦しくなる・・という申し出について書かれてありました。田中氏は、親自身がこのような複雑な気持ちを持っていることを自覚しながら、実際にやさしく子どもに接することができない場面があっても、「厳しく接する必要はないのだ」という意識を持つことが大切とのことでした。かつては親自身も幼い子どもだったことを思い出しながら、目の前の子どもにやさしく大事に接することは、子どもの頃の自分も愛情を受け取っていることになり、どちらも大事にしていることになると述べられていました。

この部分では、親自身の子どもの頃の記憶を意識して、それも大切に受容していく必要性について言及されていたように思いました。親自身の心身のありかたという視点は、忘れないようにしたいと思います。

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