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療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.40

先月のバオバヴカフェは、引き続き「感情の社会化」について。こういっては、もともこもないのだけれど、そもそも「感情」がよくわからない、そういう気持ちが湧いてこない、理解できない・・・という、つまりは「サイコパス」的な層が、存在する。「感情」が在るとは、まず実に大切なことだ。ということから、おしゃべりがスタートしたように思う。
そして、発達に凸凹がある子供たちの中にも、「感情」がよくわからないという子は多い。ただ、ここで注意したいのは、からだに起こる「もやもや」としたものに、名づけること(言葉化)に困難があることが多く、決して「くやしい」や「たのしい」や「うれしい」が起こらないわけではないということも。「失敗の練習」「感情にふたをする」「こどもにいい子を求める」「豊かな感情表現」など、拾っておきたい言葉もいくつか出た。後半は、感情を表現するのに、「言葉」はやはり重要だ、という話題につながっていった。「言葉」と「身体」。このカフェにおいて、ずっと大事であり続けるキーワード2つが、改めて浮き彫りになっていった回だった。

(以下、文責・花沙)
<雑感>
今回、大河原美以「怒りをコントロールできない子の理解と援助」(金子書房2004,p50-56)の部分をシェアしました。「子育て不安」に関する部分だったのですが、大人もネガティブな感情が社会化されていないままだと、子どもが引き金となっておこるネガティブな感情に、うまく対応できない・・という内容でした。以下にいくつか引用します。

「親のなかにわきあがってくる親自身が感じるネガティブな感情に、親が持ちこたえることができるということ
が必要」p53

「親が問題だという直線的な理解では、誰も救われません。問題は循環しているのであって、誰もが苦しんで
いるのだという視点から、いま、私たち援助者にできること、それを考えていくこと」(p54)

また以下は、子どものどのような感情であっても、大人に大切にされることの重要さが述べられています。

「ネガティブな感情とポジティブな感情が同じ比重で大切なものであると扱われることによって、二つの感情を隔ててしまう壁は低くなり、身体と認知(言葉)の領域がつながりをもつようになります。(略)身体からでる非言語的表出と感情が一致するという状態になります。」(p55)

身体からあふれでる様々な混沌としたエネルギーが、感情を表す言葉と結びつき安全な形で表現される(感情の社会化)ことで、エネルギーのバランスをとること。それが感情をコントロールすること・・、とのことで、これは子どもと関わる教育者、子育て中の親自身も、子を育てながらでも自身の感情の社会化について、今一度立ち止まって内省する必要があるように思われました。



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