見出し画像

療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.34

4月のバオバヴカフェは、からだとこころの関係について、長年取り組まれている方の参加があり、ポリヴェーガル理論から、多岐に話が拡がりました。その中で、「今年から法的には18歳以上が大人になるけれど、からだがついていかない」子が、身近にいる、というお話になりました。この、頭ではわかるけど、からだがついていかない、という感覚…これは、大人の生活の中にも結構たくさんあるシーンだと思われます。「実行できない」「やりたくない」「起きれない」「取り組めない」…など、この感覚がどこから来るのか…という時に、からだの仕組みを知っていると、過ごしやすくなるかもしれない…ポリヴェーガル理論は、そんなヒントを与えてくれる理論かもしれません。

このあたりは、東洋の医学や、整体が扱ってきたところでは…という意見が出たり、この理論が、「又、消費されることのないよう」という話も出ました。

少なくとも、子ども達の中には、(性格云々ではなく)生理的な体の状態から癇癪を起こしたり、こまりごとを抱えている子がいる、という、新たな眼差しが増えることは、大切なことかもしれません。

長年、「からだ」のワークに関わってきた身としては、「自律神経」に関する理解とセルフケアの重要性を挙げるこの理論をきっかけに、日々、多種多様な子ども達と出会う中、この「セルフケア」として挙げられる人の営みを、改めて見つめ直していきたいという宿題を得たような時間となりました。次回以降も、この宿題に触れていきたいと思います。

以下、文責:花沙。

<雑感>
 今回は、人と人とが温かく交流するための迷走神経系である腹側迷走神経系に関すること(ポリヴェーガル理論)や、今ではなんとなく心の癒し・・と、浅く捉えられがちな、セラピー、セルフケアという言葉について。今だからこそもっと多層的なものとして再考できないかなあ・・というお話がでた。静かに丁寧にカラダの感覚的な部分に向き合っていくことの大切さを伝える言葉として機能するのではないかな? それがどうして大切なのか? ここがポイントのように思える。

 気持ちを大きく崩してしまった子どもは、泣きながら慰めてもらえる大人を探す。安心を感じさせてもらえる大人を探す。幼い子どもは、自分で自分の気持ちに折り合いをつけることが難しいからである。抱きしめられたり、背中をさすってもらい、「辛かったね」と言ってもらいながら繰り返し、繰り返し「安心・安全」を感じる経験を重ねていくと、自分は大切にされる存在であるという感覚が育つ。
大人になるにつれて、「自分で自分を安全に安心させる方法」を模索する必要がある。それは人それぞれだが、例えば、スポーツ、ヨガ、ダンス、クラフト、料理など・・それぞれに合ったものだろう。(これらは、丁寧にカラダの感覚的な部分にフォーカスしている時間となるのではないかな?)
一方で、「自分は大切にされる存在」という感覚が希薄、または全く育っていない場合、カラダを壊してしまうような、なんらかの依存症・・に向かってしまいがちだ。依存症の場合、ある意味、自分の辛い心から自分の気をそらす(自分を守ろう)という生存に必要な手段なのだろう。しかし「自分を大切にして」、「自分のカラダは大切」という部分がすっぽり抜けているように思える。

 以下はメモ。
「社会交流システムは、迷走神経系の腹側迷走神経系またはその役割に関連した迷走神経によって起動します。目やまぶたの動き、表情を支配する筋肉、喉頭、中耳および頭や首の動きを制御する神経系です。これらは赤ちゃんと親との間のコミュニケーションを促進します。母親は赤ちゃんの視線を受けて、微笑み、そして笑いながら、その目は輝きます。それから、赤ん坊は声を出し、母親がその発声を真似すると、それに応答するかのようにまた声を響かせます。母親は再び頭を傾けて微笑み、赤ちゃんは微笑み返すでしょう。子どもは安全と温かさを感じています。」
(ジェニーナ・フィッシャー/浅井咲子訳「トラウマによる解離からの回復 断片化された『わたしたち』を癒す」国書刊行会2020,p211)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?