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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.32

昨年11.12月のバオバブカフェの様子について・・ちょっと遅くなりました。

11月は「MSPA」という検査法についてシェア。12月は「臨床心理士と公認心理士について」や「兄弟げんか」「通級について」なども。この2回は、実際に起こった出来事について、対話を行うシーンが中心だった。
下記に、参加者の花沙さんがいみじくも最後のほうに記してくださっているのだが、バオバヴカフェでは、(発達に特性のある)こどもたちへのまなざしを拡げるヒントになるようなことを話す。いや、話したいと思いながら進めて、3年目を迎える2022年。より多重な「視点」で、こどもたちのからだへのまなざしを探っていく場にしたいと考えている。昨年は、専門職の参加者も増え、大いにヒントを残してくださった。
今年は、そんな「かたりのば」をラジオ風に、より聞きやすく公開できないかと考えている。今年の1回目は、1/31.(詳しくは、からだのアトリエ バオバヴのfacebookかTwitterまで)

2021.12.27 <雑感>(文責:花沙)
小学校や中学校など集団での学習や生活リズムに違和感を感じたり、馴染みにくいと強く感じる子どもたちがいる。そのストレスフルな状況からSOSを発し、一度その集団生活から離れて安心・安全の自宅で過ごす場合もある。その間に、子どもたちが継続的に安心・安全に過ごせる環境や状況を模索する・・ということが周囲の大人の仕事となるはずだが、たいてい子どもの個人的な問題として扱われる。

このようなとき、子どもたちは「先生の言うことに合わせるのが嫌、みんなで勉強することが嫌、宿題がしんどい、つまらない、やりたくない」等というだろう。これに対して、多くの大人は何と反応するだろうか。「そんなの、みんなそうだよ。みんな我慢してがんばっている。君だけワガママは許されない。親が甘やかしている。もっと厳しく躾けて。」ではないだろうか。こういう発言には、小さい子どもは身体感覚的な違和感や強いストレスをうまく言葉化できていないかもしれないという視点が、抜け落ちているように感じる。

 学校に馴染みにくい子どもを持つ親子は、こうして追い詰められていく。集団に馴染めない子どもは、心理的な甘えが強く、規則正しい生活が出来ていない、自己管理ができていない、こういった自己責任論に収斂されやすい。甘えを押さえて規則正しい生活を送ることは理想として悪いことではない。しかしながら「なぜそれが出来ないのか」という問いに対する答えが、「甘えているから、躾がなっていないから」だけ、ということに問題を感じる。

 これまでバオバブカフェで話題とした、カラダの強張り、不器用、フリーズ、大暴れ(癇癪)など、身体表現や感覚的な部分から子どもを眺めてみたり、脳科学的な視点(感覚統合理論、原始反射理論、K式発達検査、WISC-Ⅳなど)から特性を眺めてみたり、ということにどういう利点があるだろうか。それは、子どもの困りに対し、無意識的に心理的問題のみに収斂してしまう結論から距離をおき、別の要因にも目を向けられることだろう。大げさではなく、自己責任論に追い詰められる親子を救うことになると思う。

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