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苦手だな、と思っている子と並んで一緒にケーキを食べる夢をみた。親しげに話しかけてくる彼女が楽しそうで、夢の中の私も嬉しくなった。 だから起きた私は彼女のことを、そして自分のことを、昨日より少し好きになった。 そんな単純な話でいいんだろうし、結局それがすべてなんじゃないかな。
ほぼ毎晩みる夢がおもしろくって寝起きにその感覚を追ってみたりするんだけど、 おもしろい、まだ行ってみたい、もっと先までみたい、でも、こわい。 って、登山道を外れて暗い山にちょっとだけ分け入ってみる、あの感じとそっくり。 ー常人は、夢日記は続かないようにできてる。
見かた言いかたはいろいろあるけれど、 誰もがこの瞬間までずーっと 「私」を生きているんだよね。 代われないし、逃げられない。 よくやってるよ、私たち。
「愛を持って放っておく」 って難しいよね。 「愛を持ってかかわる」 に比べたらずっと。 両方ができたとき、相手のほんとうの姿をちらりと見せてもらえるのかもしれない。 それは自分に対しても、おなじなのかも。
シンクロは起こすものではなく日常で勝手に起きてるものだから、 そこに気づけるか?というのが腕の見せ所(なんの?)。 そして気づいたというだけでその恩恵はほぼ受け取っている。 だからあれこれ意味づけや考察をしなくても「わーシンクロだ!」ってただ喜んでいればいいんだ、って最近思う。