コロナというやつ

今日、何気なくテレビを見ていたとき、9月新学期にしてはどうかというテーマでコメンテーターたちが話し合っていた。
その中で、ある一人の9月新学期に難色を示す男性コメンテーターが、
「オンライン授業や自宅学習で得られるものがたくさんある。わたしもそうやって学ぶことがあるからよくわかる。」
というような趣旨の発言をしていた。また将来的にはそれが普通になってもいいんじゃないか?くらいの主旨で自分の意見を述べていた。(勘違いだったらごめん)

おもわず、「は?」と声に出てしまった。

コメンテーターはおそらく60才くらいではなかろうか。
詳しい人柄や専門分野はわからない。
でも、彼の主張することを聞いていて、反論しか頭に浮かばなかった。
なぜなら…

ここ2ヶ月、在宅で子供たちは学習している。
もちろん、自閉症スペクトラムの我が子も。 そして私はパートながらも働いている。
子供はいとこ達とともに私の母の元へ預けたり、自宅で留守番させたり、主人が休みの時は主人と留守番したりと毎日の生活リズムはバラバラ。

自閉症スペクトラムの特性をご存知の方なら言うまでもなくご理解いただけるかもしれないが、あえて説明すると、このような日々は子供にとって刺激が強すぎる。
ましてや、膨大にだされたプリント等の課題。
たまにある登校日。
もちろんうちの自閉っ子は、登校することができないか、登校したとしても翌日発熱する。
それでもなんとか日々をすごしている。できるだけ楽しく、子供に負担の少ないようにスケジュールを組み、なんとかようやっと、暮らせている。

あのコメンテーターは、いうまでもなくすでに大人だ。
きっと子供のころ、学校まで歩いて通い、友達と遊び、ケンカし、親以外の大人に怒られ、好きな人や嫌いな人ともなんとかうまく生活し、様々な価値観に触れ、様々な刺激を受けて、今そこに立っているはず。
一位だとかビリだとかに一喜一憂し、競争してみたりもしたはずだ。
「学校」という集団の中で、勉強以外の学ぶべきこと、経験するべき感情、他人というものについて、たくさんの「経験」を積んできたに違いない。

……きっと。あのコメンテーターはきっとそれがごく当たり前すぎてどんなに大切なことなのかを忘れちゃってるのかもしれない。

自閉症スペクトラム等の発達障害を持つ子供は、個別の対応が必要だ。しかし、それと同時に集団での経験が何よりも何よりも重要なんだ…。(人それぞれでもある部分であるが、ちょっとそこは今は省く)
それは、親がどんなに教えたくても教えられないことで。
そう、「経験」は他人に与えることができないんだ…。

いま、私は苦悩している。
子供にたくさんの経験と学びを与えたいのに、それができない。勉強なら教えられるし実際に子供もがんばって出された課題に取り組んでいるし、授業でやる予定の新しい漢字や算数の問題は理解している。
でも、そうじゃないんだ。
いま、子供の成長に必要で、わたしが与えたいのは「経験」なんだ。
たしかに、今のお家での時間をすごすことも「経験」のひとつ。そこで学ぶことがあることも、確かである。
それはあのコメンテーターに同意する。

だけど、そんなこともこんなことも、色々なことが言えるのは、生まれてから今まで、様々な人間に出会ってきた「経験」があるからこそだと思うんだ。

学業だけならオンラインで学べる。でも、そこじゃない。
だから、わたしは、ついつい、「は?」と声に出してしまった。

かといって、この状況で学校を再開するべきなのか、どうなのか。それはわからない。
おそらく、休校という措置には大きな価値があった。
それをいつまで続けるのか、どうするべきなのか…一体、何が正しいのか…

それは未来にしか答えがないんだ。

休校の措置は正しい。
この先も必要に応じて、授業再開と休校を臨機応変に対応していくべきだ。

だけど、リモート学習、ホームスクーリングが普通になってしまってはいけない。絶対に。
自らの特性に合わせて自らが選択するのならいいと思うが。
当たり前にはなっていけない。

パックンが「幼稚園ダブった」と言っていてなんてすばらしいシステムなんだ!って感動した。その柔軟な制度!素晴らしすぎる。

発達に凸凹がある、発達障害児。
勉強はわかるけど、社会的な面の発達に遅れがある子ってたくさんいる。
同学年のお友だちとうまくやっていけなくて、不登校になり、ホームスクーリングを選ぶ子だっているかもしれない。

でも、学年を1つさげたら、その学年の子供たちとはうまくやっていけるかもしれない。

そんなことをもう随分前から取り入れていたアメリカ、さすが、としか言いようがない。目からウロコ…。

コロナの影響で、こんなことを感じたことについて、それはやはり私の経験となり将来の糧となる。

コロナってやつは、世界をひっくりかえした。
しかし、このコロナによる様々な変革はまだまだ始まったばかり。
でも、変わっちゃいけないものがある。
それは「愛」とかそういうやつ。人と人との交わりでしか学べないやつ。
それだけは絶対に失わないようにしなくっちゃ。…ね。

最後に。

テレビというものは、台本があるもの。
意見や思考が偏らないように、様々な識者を集め、打合せをし、ある程度台本通りに意見を述べあっている。
わたしだってそれくらいはわかっているから、テレビを通して見た人物像だけでその人を判断したりはしない。
だから、このnoteはそのコメンテーター個人を批判したりするものではない。
テレビに呼ばれるほどのたくさんの経験と知識を、たくさんの人々に与えることができるなんて、きっと素晴らしい人物なんだと思う。私なんて足元にも及ばないことは重々承知の上で、私の思いをつらつら書き綴っているだけ。

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