Help Seekig ~援助希求~

最近、ミステリ好きの私がまったくミステリ小説を読んでいない。正確にいえば、ミステリモノを買っていない。
いつも鞄の中には同時進行で読んでいる本が無造作に三冊ははいっている。その三冊の中にミステリが…ない。


私は四捨五入したら40才というおそろしい現実に足を突っ込んでからというもの、なぜか学びたくて学びたくてしょうがない。それは、自分の頭のなかには、常になんとなく、孔子がいるからだとおもう。

四十にして惑わず

わたしはなんとなく30才のころ己の足元がちゃんと地面に着いたような感覚があった。
そして三十代も半ばとなったいま、なぜか猛烈に「素敵な40代を送りたい。」と思いたった。今よりももっと知識や経験を身につけたい。後退したくない。強く美しくありたい。(美しくは前途多難)


そこでふと、「放送大学」なるものを思い出し、資料請求をした。学費など、なんとか捻出できそうだなーなんて資料を眺めているうちに、、、妊娠した。
お金にゆとりはない。第三子の為にかかるであろうお金を考えたら放送大学入学はいとも簡単にあっさりと見送りとなった。

だけどここで朗報。
放送大学は無料で視聴できる講義がけっこうあるのだ。しかもスマホアプリで!!!
なんて素晴らしい!わんだほー!!いえい!いえい!
とりあえず、私はこれで欲求を満たすこととした。


そこで出会ったのが“社会心理学”という分野。
ほうほう。これは興味深い。
聞いたことのあるような話題がわんさかの講義内容。
うんうん、あるある!なるほどねー!
目から鱗な講義内容。

そしてそして、なんてったってさ、放送大学のこの講義、1コマごとに本を一冊、紹介してくれるのよ……。
鼻血ぶー!!最高でしょ??
だけどもだけど、なんと、調べるとお高いことお高いこと!!!!ひょえー!な金額の本もあるのですよ…ふう。

ですが社会心理学の世界では有名な実験を綴った本。
ぜひとも読んでみたいわけなんですよね。ええ。
これは図書館だなー、、、なんて考えながら、なぜか私はいつもの馴染みの本屋へ。
そしてまったく関係のない本を2冊お買い上げ。(知の体力、極北、の二冊)なんでやねん、よね。はい、自分でも思います。(ちなみにこの二冊かなり面白いです。おすすめします。)
そして本日、いざ図書館へ!!と思ったらまさかの休館日…。 

そんなもんですね。はは。

いや、実は変に潔癖?なところがあり、古本とか図書館とかが苦手なんですわたし。
汚れとか目に見えない何かがついている気がするのもアレなんですが…1度誰かがめくったページをめくるのが嫌だというか、その本の1番は私でありたいというか。ちょっと変なところがあり、いままで古本を買ったことがないし、本を売ったこともありません。一度読んだ本は私のエリアから離れないでほしいんです。友だちや家族に貸すことはたまにありますが。

そんなこんなんで、まだアロンソは読めていません。


あれ?題名の「Help Seekig、援助希求」の話からかなりトオザカリましたね。
徒然なるままにいきすぎました。


題名にした話に無理やり戻します。
好奇心旺盛な私は、ショッキングなニュースを見るとつい追及したくなります。
今日、あるネットニュースを転々とみていたら出てきた言葉が“援助希求行動”なるものでした。
簡単にいうと、「助けて!」を言うこと、でしょうかね。 いや簡単に言いすぎですね。詳しく知りたいかたはくぐってください。



我が子が発達障害かも、と疑いをもってからの私の援助希求行動はすさまじいものがあった、と今になり思います。

ものすごい勢いで援助の手を探しまくり、何とかしなくちゃ助けてくれる方は全員助けてくださーい!とばかりに。
早期からの療育を受けることの重要性をなんとなしに理解し、兎に角がむしゃらでした。
基本的に一匹狼な私なのですが、こればかりは横の連携が何よりも大事だ!とわかり、様々な助けをうけて今があります。

私は障害を受容できたから動けたんだ、と思っていました。今のいままで。
子供の障害を受け入れ、認め、だからこそ動けた、と。
でも、違ったのかもしれないです。

「あの時の私には、兎に角、助けが必要だった」            

のかもしれません。これは今日、“援助希求”という言葉を知り初めて感じた自分の知らない自分の感情でした。



「助けが必要だって思ったときが診断の受けどきなのよ」
以前、発達障害関連のある講習会での先生の一言が、いまようやく深く理解できました。(これは発達障害かの診断を受けるか受けないかで迷ってる親への対応かなんかの話をしていた時の言葉だったと記憶している。)



社会心理学の講義を何個か聞き、そのあとに知った“援助希求行動”という言葉。
“助けて”を言える人と言えない人の違いは、男女差もあるが個人を取り巻く環境の影響が大きいのでは、と気がつくことができた。けして個人だけの都合や問題ではないということに。

人知れず子育てに悩み、苦しみ、命を絶つという選択をする前に、「助けて」が言えたら。もっともっと早い段階で「助けて」を言えたら、鬱にすらならないかもしれない。

子供の発達障害に悩む親あるあるだと思うのだが、まずは1番の理解者であってほしい旦那さんに理解してもらいずらい。自分の親に相談しても「そんなの違う」と否定される。ママ友になんて言えやしない。どんなに仲のいい友人にですら。いったいどこに相談していいのか…。
そんな状況に陥った時、なんとかしようと一歩動くことの大変さをよく知っている。でも、動けた親御さんは救われていく。適切な支援を受けることにより間違いなく状況は、変化する。

悲しいことに動けずにいる親御さんを何人か見てきた。助けを求める方向がちょっと違う方向の方も。
「どうしていいかわからなくて。」
「子供にイライラしたから一人で酒を飲みに出かけてきた。」
こんな話を聞いたとき、とにかく役所に保健師さんいるから相談してみては?等と言ってみる。私がそうしたから。
でも、そういう親御さんは相談しないままでいる…。

相手は「助けて!」を出しているのに…。私にできることは公的な支援を受けるための最初の一歩を踏み出してみたら?の言葉をかけることしかできない。解決までは導けない。
私はそれがいつも歯がゆい。
どうしてなんだろう。どうして、そういう親御さんはあと一歩が出せないんだろうといつも考えていた。


今日、なんとなく自分なりに理解できた気がした。
その母親を取り巻く環境、背景がかなり影響しているんだってことを。個人的なの性格の問題なのかなって思っていたけれど。 

 

(つらつら好きに書いていたら最大級の睡魔に飲み込まれる寸前である。さすが妊婦。睡魔には勝てない。)


私は思った。他者の環境を変えることなんてできない。たくさんの取り巻いているものの中に私がぽろっと混ざったところでなかなか大きな変化を起こすことは難しいし、ましてや変化を起こさせるほどに、ガツガツ入り込むような無責任なことはけしてできない。してはいけない。

だけど、せめて、我が子には、「助けて」が言える環境を作っていこうって。                     

そんなふうに思った2月の月曜日。

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