来る慰霊の日に思うこと2023
6月23日は「慰霊の日」
沖縄県外の皆さんは、この日の存在を知っているだろうか?
私は恥ずかしながら、沖縄で暮らすまでこの日の存在を知らなかった。
昨年移住してきて、沖縄での慰霊の日の存在、意味、そして平和学習はこの日を起点に行われることを知り、本土との違いに面食らった。
同じ日本にいながら、知らないことがあるということ。
同じ日本にいながら、こんなにも違うことがあるということを。
「部外者」
慰霊の日に関連する取材で、読谷村のむら咲むらで行われている沖縄戦の芝居公演にお邪魔した。
今の時代に生きる若者が、ひょんなことから戦時中の沖縄・読谷村にタイムスリップしてしまい、戦時の最中をとある家族たちと生きる、という物語だった。
舞台は読谷村、そしてチビチリガマでの悲劇も描かれている。
チビチリガマで追い詰められ、周囲の人が次々に自ら命を落としていく中で、タイムスリップした若者はなんとか生きようと説得する。
その際に、家族の女の子が言い放ったのが「部外者」という言葉だった。
あなたにはわからない。
私たちの苦しみ、悲しみ。
何を知ってるの?
簡単に「生きよう」なんて言わないでほしい。
そんな意味での「部外者」だった。
わかってはいけない
舞台上のセリフではあったけれど、「部外者」という言葉は舞台から降りてきて私に全面的に降りかかってきた。
その通りなのだ。私はここ沖縄において「部外者」なのだ。
そのことを、私はずっと沖縄に来て感じている。
誰も私に「部外者」とは言わないけれど、でもどうしても感じてしまうこの感覚を私はどう処理したらいいのか、ずっとわからなかった。
でも劇中の「部外者」という言葉のおかげで、輪郭が際立った。
それは痛いながらも有難い瞬間だった。
「部外者」でいることは、沖縄という地に対する敬意のような気もしている。
私は、わかってはいけない気がしている。
もちろん理解したい。だから知りたい。
でも、どうしたって踏み込めない領域を感じてしまう。
私からすると、それはもはや「聖域」のような感覚でもある。
それこそ「部外者」は踏み入れてはいけないのだと。
「部外者」
あなたが言ってくれて、沖縄のあなたが言ってくれてありがとうって思った。
沖縄の人からそう言われたことが、私にとってはとても意義深かった。
(もちろんお芝居のセリフなので、直接私に向かって言った言葉ではないけれど)
沖縄で生きるということ
移住してきて間もない頃に、「えもしれない罪悪感に襲われる」という話を先輩に話したことがある。
それは「本土の人で、ごめんなさい」という気持ち。
なぜその気持ちが湧くのか。
それはやはり私が沖縄にとっての「部外者」だからだろうか。
でも「部外者」で逃げてしまうことはずるいとも思う。
ごめんなさいは、時に人を傷つける。
だから自分の気持ちの置き所に迷っている。
移住して、もうずっと迷っている。
ここで暮らすからこそ感じることがある。
これこそが、その地で生きるということなのだろう。
私にとってそれがなぜ「沖縄」だったのかはわからない。
沖縄以外の場所に移住していたら、きっと感じなかったことがたくさんある。
だから、こうして迷い戸惑い悩み苦しみ考えながら、沖縄で生きている日々が私にとっては大切で意味ある時間だと感じている。
楽しいばかりではない。
でもそれこそが沖縄のもう一つの面を知るということだし、引いては何にも通じることだとも思う。
私はもっと知りたい。もっと理解したい。もっと考えたい。
辿り着くことのない答えを求めて、ずっと探求していきたい。
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