見出し画像

5年越しのアンコール

我が家には、昼夜関係なく突然「星野源」がやってくる。

「どーも!こんばんはー!星野源でーす!」

大きな声でハッと目が覚める。時間を確認すると朝7時30分。
全然夜でも無ければ、ここはライブ会場でもない。ただの自宅だ。

始まったか…。

むくりと布団から起き上がり、リビングを見た。3歳の息子が歌いながら踊っている。そこでは、星野源さんのライブDVDをテレビ画面で再生しながら開催する「なりきりライブ」が始まっていた。

「さいたまー!!」
本人になりきって声を張り上げる息子。

彼の中では、ここはリビングではなく「さいたまスーパーアリーナ」。宮崎在住のくせに、最初に覚えた地名は「埼玉」だ。おもちゃのマイクを片手に、あちこちに愛想よく手を振っている。きっと息子にしか見えていない数万人の観客が、このリビングにはいるのだろう。
こちらが起きたことに気付いたミニ星野源は、ライブの途中でテーブルの上にあったリモコンを持ってきて言う。

「トット(※お父さんの意味)、あんこーるにして」

あー、はいはい。

リモコンのボタンを操作して、ライブDVDのチャプターをアンコールMCまで飛ばした。出だしの音を確認してからウンウンと頷く。

「ありがと」

短くお礼を言うと、息子はすぐさまミニ星野源に戻っていった。このDVDでクイズ「イントロ・ドン」があったら、間違いなく圧勝するだろう。家族の誰よりも詳しいのは息子だ。もはや収録されているチャプターの頭の音だけで何の曲が始まるかを把握している。

「きょうは、なんとあんこーるが…4曲あります!」

ちなみに、MCもカンペキだ。
もう何回聞いたか分からないライブのアンコールが、朝っぱらから始まった。

きっかけは、ドラえもんのアニメだった。
エンディング曲を星野源さんが担当したことから、息子はその存在を知った。YouTubeで配信されているミュージックビデオを見ている内に「つぎはコレ、つぎはコレ」と、様々な曲のライブ映像を見始めた。

次第にドラえもんはどこへやら、息子は星野源さんのライブ目的でYouTubeを見るようになった。あまりにもその頻度が高くなってきたので、奥さんと話し合った結果、ライブDVDを購入することにした。
ライブDVDなんて、3歳に買い与えるものとしては高価過ぎるものだったと思う。ただ、星野源さんのライブを見ている息子の笑顔は、私たち夫婦に何ものにも代えられないくらいの幸福感をもたらしてくれた。それはDVDの対価としては十分過ぎるものだった。

唯一想定外だったのは、息子が沼にハマったかの如く没頭してしまったことだ。朝起きたら、星野源。保育園に行く車の中でも、星野源。保育園から帰ってきても、星野源。朝から晩まで、家のテレビでは止めどなく星野源さんが流れていた。

「星野源ばっかりで、ニュースが見られない!!」

普段ニコニコと暖かく見守っている奥さんが、怒り狂うくらいのリピート率だったから、私たち家族とって日常が如何に星野源さん漬けだったかが分かる。
ただ、そのおかげもあってか、息子の完コピ度は日に日に精度を上げていった。おもちゃのマイクをマイクスタンドに立て、肩からはおもちゃのギターを下げて曲に合わせてジャカジャカとかき鳴らす。気持ちだけは、一端のアーティスト…というか、星野源さんだった。

朝一番で見始めたライブDVDは、無事にエンドロールを迎えた。
「ありがとうございましたー!!」
数万人のお客さんにお別れの挨拶をして「なりきりライブ」を終えたところで息子が言った。

「トットは、ギター弾かないの?」

別の部屋の隅に置いてあるギターケースの存在に気付いていたのだろう。

ん〜…壊れてるんだよね〜

「なんでこわれてるの?」

ん〜…なんでかなぁ

寝ぼけ眼をこすりながら、とりあえずごまかした。もう5年も開けていないギターケース。入っているギターは音楽経験者なら一度は聞いたことがある、そこそこ値が張るメーカーのものだ。もちろん、ギターは壊れていない。壊れていたのは、かつて音楽をやっていた自分の気持ちだった。

オリジナル曲を携え、ギターを抱えて、一人で県の内外のライブハウスで活動していたのは5年前。当時は仕事の合間を縫って最低でも月に一回はライブをする生活を送っていた。しかし、いつの頃からか音楽を純粋に楽しめなくなった。チケットノルマや集客などの現実と向き合うと、ただただオリジナルの曲を作って披露するというだけでは、ステージに立つモチベーションを保てなくなった。

それに加えてギターを辞めた直接的な原因は、結果が出せなかったことだ。レコード会社の関係者などが呼ばれた音楽コンテストに出場したのだが、箸にも棒にもかからなかった。さらに言えば、挑戦したはのは一度じゃなかった。一度ダメだったことをバネに、ボイトレなどでスキルアップを図り2年後に同じコンテストに再チャレンジした。でも、結果は変わらなかった。
世の中には全力を注ぎ込んでもどうにもならないことがある。そして自分にとって、それが音楽だった。
この事実には少なからずダメージを受けた。

…何のためにやってるんだっけ?

この問いに、自分なりの答えが見つからず、それ以降は一切ギターを弾かなくなった。一旦ギターを断てば、またそのうち弾きたくなるかもしれないと思っていたが、その後音楽が無くても日常に特に影響は無かった。

「音楽が無くては生きていけない」というアーティストは多い。自分にそれが当てはまらないということを知った時、本当の意味での「音楽人」では無かったのだと気付き、それもまたショックだった。それ以降5年もの間、ギターはケースに入れられたまま部屋の隅の置物と化していた。

息子が音楽に興味を持ったのは偶然だ。
こちらから音楽をやらせてみようという思いは一切無かった。息子は自分が数年前までライブ活動をしていたなんて知らないし、弾いてみせたこともない。自身で好きな音楽を見つけ、ハマっていった。そんな息子から言われた。

「ねぇ、ギターいっしょに弾こう?」

自分の中のサビ付いていた扉を叩き壊すには十分な言葉だった。それまで自分から開ける気なんて全く無かった扉を、息子からいとも簡単に叩き割られた感じだった。

この日、一時期は売っ払ってしまおうかとさえ思っていたギターを5年ぶりにケースから取り出した。弦は錆びているが、使えないことはない。チューニングを合わせて軽くポロポロンと弾いてみた。

「へぇ、うまいじゃん!」

お前はどこのプロデューサーだ!ってくらい上から目線の息子と一緒に演奏してみる。息子はボーカル、自分がギター。曲はやっぱり星野源さんだ。
楽譜が無いので、スマホで検索しながら演奏を進める。初見の譜面でまごついていると、すぐに隣から指摘が入る。

「ちょっと、とまらないで!」

…ゴメン、ゴメン!
言いながら、思わず笑ってしまう。

何年ぶりだろう?音楽が楽しいと思ったのは。
ジャラランとギターを鳴らし、曲を仕切り直す。

じゃあ、もう一回最初からいくよ?
ワン、ツー、スリー、フォー…
ジャカジャカと弾くイントロに、ノリノリでリズムを取る息子。

そして歌い始めたら、いつだって全力だ。
音程が高い・低いだの、歌詞を覚えてる・覚えてないだの、そんなことは全然どうでもよかった。2人で一緒に音を紡いでいる感覚がとても良かった。

…あ〜「このため」で良いんじゃないかな。

ギターを鳴らしながら思った。
「なんのため?」とギターを弾かなくなった5年前には分からなかった答え。残念ながら、自分には世界中の人が振向くような音楽を作ることはできなかった。でも、もはや音を鳴らす理由はそんな大それたものじゃなくていいことが、はっきりと分かった。目の前で全力で歌っているこの3歳児に届くような音楽を奏でたい。

…おっとっと。
譜面がいきなり1ページ分飛んだ。息子の歌は突然Aメロからサビにいったりするから、演奏中も気が抜けない。でも、気持ち良さそうに歌ってるから、これはこれでいいことにする。

自分がステージに立って歌う姿を、いつかコイツに見せたいな。一生懸命、声を張り上げて歌う息子の様子を見ながら思った。

ジャジャン、と演奏を終えた。
息子は目を輝かせながら「もういっかい!つぎはちがう曲!」と、次の曲をリクエストしてくる。

いいよ!と笑顔で応える。
ピックを使ってギターのボディをカツカツと軽く叩き、カウントを取る。

じゃあ、いくよ〜。

声をかけると、目の前のミニ星野源は笑顔で頷いた。まるで5年前の続きが、今改めて始まったかのようだった。

(※↑後日親子でスタジオで一緒に練習する様子)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?