声、音、言葉
昨日聞いたトークイベントで、“耳の可処分時間”という言葉が出てきた。音楽、声、言葉、自然の音、人工的な音。
ドラマや映画、iPhoneやMacの画面、本や漫画。目で見るものを楽しむためには、手を止めて集中することが必要不可欠だ。だから、時間があるときの贅沢品。でも音声であれば、家事をしながら、メイクをしながら、多くの時間を拘束されることなく、(されたとしてもそう感じることが少なく)楽しむことができる。
個人の発信が主流になってきて、承認欲求もあって当たり前という感覚をネット界隈の人たちは持つようになってきたという話も出た。それが恥ずかしいもの、という時代が終わろうとしていて、みんな自撮りするし、TwitterやInstagram、Facebookに日常も非日常も切り取る。私だってnoteでスキをもらえたら嬉しいし、読んでますって感想を言われたらなんとも言えない温かな想いが胸の中に生まれる。
同時に、コンテンツがあふれ受け取りたい情報が混在するから、感性の合う人に出会うために好きな人の好きな人とつながることも増えた。好きな人のオススメする本を読む、音楽を聞いてみる、イベントに行ってみる。感性が合うな、って思っているからどこかしら引っかかる部分があることが多い。そうやって、興味の幅が広がっていく、考え方の引き出しが少しずつ増えていく。Voicyで有名人が、芸能人だとは限らない。キラキラした写真より、独特の言葉で語られる日常が面白いと思う。くだらない話を、もっと聞きたいと思う。そこから、また人と出会う。
エンタメだと思うよりも、ジャンル分けするよりも、自分の生活のそばに気づいたらあるのが音だと感じた。人の声はなんだか安心する。音楽を聴いていることも多いけれど、ラジオとかVoicyとかそういう誰かの、自分には無い視点での話を聞く時間に癒されている。学ぼうとかじゃなくて、安心感や安らぎを求めて聞いているんだなって、気付いた。
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