見出し画像

本の記憶

子供の頃から、家のなかは本でいっぱいだった。ラックや木の本棚は重みで少し変形していた。どんな絵本でも、小説でも、なんでも読んでいた。漫画も買ってもらっていた。毎週末は自転車や車で、市の図書館へ出かけては祖父母の分まで図書カードを使って1人10冊借りて、帰るまでに1冊読み終わったり、歩きながら読んで電信柱に激突して父親に怒られたりした。おやすみ、と電気を消された後も、ベランダから見える街灯の光でまたこっそり絵本を読んでいたこともあった。

私たち家族にとって、本は読みなさいと言われるものでなく、本ばかり読んでないで宿題をしなさい、といわれるものだった。知らない世界に連れて行ってくれる最高の娯楽だった。高校の頃は面白くない数学の授業より、隠れて小説の続きを読んでいた。

地元の図書館や小学校にある本の位置は今でもなんとなく思い出せるし、表紙やタイトルに惹かれるも結局中身をぱらぱら見て読んだことのない本もある。本屋より図書館で過ごしてきた、クリスマスプレゼントには必ず本があった、そういう生活が特別だと思ったこともなかった。

私が高校時代に父が図書館で借りてきた短編、今では有名な有川浩さんの『クジラの彼』から有川作品にハマった。吹奏楽部の先輩からふと聞いて読んだ『ぼくのメジャースプーン』で辻村深月さんを知った。子供の頃に繰り返し読んだ村山早紀さんの『カフェかもめ亭』は文庫になっていることを知って今も読み返している。社会人になって1年目、急遽1週間ほど入院することになったときに病院の上階に図書館があって、そこで手に取った『ペンギン・ハイウェイ』は森見登美彦さんの既に有名な文調とは少し異なる読みやすさと世界観に引き込まれた。

本は、何度読んでも読むときの自分が違うと受け取り方が変わってくる。増えすぎてワンルームの部屋の本棚に収まりきらなくなると、精査するのだけれど、そこで読み返してまた戻すことも多い。
最近はビジネス本もよく手に取るし、エッセイも昔より読みたいなと思う機会が増えた。そういう変化も楽しい。

毎日、読まないかもしれないとしても、本が鞄に1冊入っている。電車の中でそういう人を見かけると、勝手に、同志、と思ってしまう。もっと見たことのない世界を見たい、知りたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?