余白をもつということ
余白をもつということ。
きちんと、目の前の相手と今向き合う気持ちがありますよ、って伝えること。それは言葉にしなくても、何気ない態度で伝わると思うし、意識していない部分でも相手に届いてしまうと思っている。
居酒屋で向かい合った彼女の一言一句をきちんと聞きたいと思うこと、そのために必要な場所とか人とか空気をつくったり準備しようと心がけること。iPhoneが光ったり消えたりを繰り返している机では、話もどこか深いところまではできない気がする。些細な目線や言葉の選び方、店員が注文を取りにくる間合い、隣の席の男性が吸う煙草の煙。コントロールできるなら、コントロールしたい。何よりいちばん自分が目の前の相手に、向き合える自分で在りたい。
それってつまりどういうことなのだろう。
私が思うに、相手を思っていると伝えることはきちんと「話を聞くこと」だと思う。雑談でも、愚痴でも、大切な人であれば、なぜ今その人はこの話を“私に”してくれるのだろう、と考えることがある。たまたまそこにいたから、何か頭に浮かんだものを吐き出したかったから。そういうときもあるけれど、“私に”話しかけてくれたとき、話したいと思ってもらえたとき、嬉しくなる。承認欲求なのか、安心なのか、正体は綺麗なものだけじゃないのだけれど。
だから、きちんと余白を持っていたいのだ。相手が伝えてくれる自分とは違う意見も、自分のなかに取り入れて咀嚼できるだけの、余白。背中を向けてしまうのでなく、話したいときだけ顔を合わせるのでなくて、なんでもない話がしたい。表面上で、耳で捉えて頭では違うことを考えていたり、違うことに夢中になっているのではなくて、相手の話を聞く姿勢を整えることが、私にとっては「余白をもつこと」かもしれない。
#毎日 #なんでもないこと
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