見出し画像

土日のこと

ざわざわしている。6月がはじまる、月曜日。1ヶ月の自宅待機後、はじめての会議に出て疲れる。取り戻すには時間がかかるな、と深呼吸する。社外の人と関わる機会が増えて、忙しくてもやさしい人たちを見ていると、わたしもそう在りたいとつよく思う。無関心がいちばん冷たいと思うけれど、きっとその人たちも余裕がないんだろう。そのまま名前のついたポジションにいることで、いろんなことが苦しくなっていくんだろうな。でも、別に無理に関わらないと決めれば、割り切れる。わたしはわたしの時間の使い道を、自分で決められる。だから愚痴っても仕方ない。なんだか今朝はからだと頭が重たい。

* * *

東京にきてできた大切なともだちから、手紙とおすすめの本を送ってもらう。LINEでつながるより、手書きの文字と、便箋と向き合っている時間をもらえているという贅沢さがうれしい。本を誰かに送る、って愛だと思う。彼女からは、前にもブックオフでさっきみてきたんですよ、と古本を1冊譲り受けた。ああ、好きだな。一瞬で届いて既読がつくとどうしてもふわふわする、軽くなってしまいそうな言葉を、大事に自分のなかで反芻する。あ、ドラえもんの切手、まだ買えてない。

土日はだいぶ穏やかに過ごした。
土曜日、読書会に参加してジェンダーを考えたり、入っているラボのオンライン共有会は少人数で居心地がよかった。あと、パートナーに一応読んでもらったあとで、キナリ杯 に応募するために書いたnoteを公開した。3000字近く書いて公開することは、おそらくイベントレポート以外では初めてで、何度も読み返して足したり消したりした。4200件の、長文であるだろうnoteをひとりで読み、50もの賞に当てはまるかどうかを検討し、6/3に授賞式を行う、岸田奈美さんという人は、ほんとうにすごい。糸井さんがツイッターでシン・ゴジラだと言っているのを見かけた。うん。すごい。この時代に生きられてよかったなと思う。

あ、noteはちょっとした報告もあるので、よければ見てください。SNSで公表するかは迷って、しなかった。読む人だけが読んでもらえる世界、なんて平和なんだろう。

日曜日は下北沢を散歩した。前から行ってみたかったBONUS TRACK。緑がいっぱいで、子どもたちや犬がお散歩していて、通り道っぽいのがいいね、と話す。気になっていた月日や、発酵デパートメントで新しい出会いを感じられることがうれしい。夏以降、会社が下北沢に移転するが、地下なのでここに遊びにきたいな、とおもうほど居心地がよかった。軒先みたいな感覚で、お店とお店の境目が曖昧なのも面白い。全店オープンという対応ではないので、また徐々ににぎわいが戻るのもたのしみだ。

フルーツサンドを食べたり、古着屋で可愛いと褒めてもらったワンピースを試着してくるくるまわった。単身赴任が始まる彼が、プレゼント、と言って買ってくれた。そんなこと普段しないから変な感じがしたけれど、素直に喜ぶ。くすぐったい。またデートで着よう、って思える日々が貴重で、少し弱気になることもある。波だ、天気も悪くなって、頭痛がやってくる。

夜は、お誘いを受けて #門外不出モラトリアム を観劇する。途中、自宅の電波環境が悪かったことを除けば、演劇を体験していることに近い感覚で、不思議な時間だった。ただ、生でカーテンコールに手が痛くなるくらいの拍手がしたいな、と #12人のやさしい日本人 を観たときと同じように思った。できることと、できないことと。人の気持ちは、シンプルで代替品を見つけづらい。そのままの勢いで録画していたバケモノの子を観た。くじらが出てくるから好きなんだよな。渋谷の海を泳ぐシーンは、ただ美しい。

月日で買った「私の証明 星野文月」を勢いよく読み切る。のめり込んで、ぐるぐると、頭のなかに考えが浮かんで消える。人は忘れるということ、書くということ、そういうことを胸に留めていたい。許す、って。そうやって、生きていくことと向き合い続ける。書き留めないと忘れてしまう、という感覚は、わたしも都合よく忘れて、ねじ曲げてしまうから、似ているかもしれない、と思った。日記のなかに出てくる人たちが、わたしの生活ともリンクして、揺れた。諏訪湖の花火大会、大森靖子、アライヨウコさんのライブ、仕事百貨の求人、初台のリハビリセンター。今も、ゆらゆらしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?