どうせ死ぬなら二度寝で死にたいわ
言葉が浮かんでは消える、伝えるべき言葉、伝えるべきでない言葉。ふと、投げかけられた言葉に、自分の気持ちを気付かされることがある。たいていは、気付きたくなかったもの、見ないように目をそむけていたもの。そこまでして頑張ることなんて誰も求めていないというのに、な。ほしいものがほしいと明確に手を伸ばすことができれば幸せだ、でも、私はいま明確に“これがほしい”ってなくて、そんな自分のこともどこかで受け入れていて、そのまま生きている。
困ったようなやさしい顔で笑う人が好き、困らせてごめん、ありがとう。正論ばかり、正しいことばかり言われても、頭での理解と気持ちの理解は別物で、片付けきれないことばかりで。無理に言葉にする必要はなくても、関係性を維持するには言葉は必要不可欠で。ああ、迷走していることだけは分かる。今、たくさん詰め込んでも入ってこないや、息がしづらい。
わかっているのは、自分と対峙しなければどこまでもこの壁は立ちはだかるってこと。選択肢を狭めないように、殻に閉じこもってしまわないように。自分の不機嫌やもどかしさから、他者を攻撃してしまわないように。
このPCに向き合って一人で静かに息をしているときは、深呼吸できている気がする。ぐるぐると考え続けて朝がくる。いつも眠たいけれど、夜になると眠るのがもったいないと思ってしまう。そろそろ行かなくちゃ。
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