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15分の息抜き

15分のタイマーをセットして、noteを書くために羽田空港のラウンジでMacに向かう。何かを考えるそばから書く、書くことで頭のなかが整理される。話すことも好きだけど、さらに問いが生まれて整理されないときもある。書くことは、私にとってデトックスであり息抜きの時間だ。

前職を退職して、1年と1ヶ月ぶりに実家に帰省するために飛行機を待っている。ハイシーズンを避け続けた結果、気づけばこんなにも帰省していなかった。今日の夜は家族でご飯、明日は1日友人の結婚式、翌日は祖母ふたりと会って夜は久しぶりの友人とディナー、そして月曜のお昼に帰る。あっという間できっと息をつく暇もないだろう、いつもこんなものだ。

羽田空港の変わり映えしないお土産のラインナップを見ながら、欲しいものが見つからなくて泣きそうになる。そういえばつい先日も、モバイルwifiを契約した特典で1万円分の家電を選んでください!と言われて、何も欲しいものが浮かばず閉店間際までずっとうろうろして泣きそうになって消耗していたことを思い出す。(結局1万円の美顔器を買ってみたけれど、多分箱も開けずにメルカリ行きだ。)

話が逸れた、あげたい人の顔が浮かんで、その人が喜んでくれるお土産はここには無いかも、ってぐるぐるした結果諦める。私が食べたいチョコの詰め合わせを、少し歳の離れた友人のために選んで搭乗口に向かう。他のみんなにはごめんなさい。

私は、「相手が本当に嬉しいことはなんだろう?」って深く考えてしまう癖がある。口では嬉しいって言ってくれても迷惑だったんじゃないかと思われるのが怖くて、形に残るものを人にあげられないし、相手の立場から何が見えるんだろう?って考えて聞いて、自分と全然違って面白くて笑ってしまうこともある。
それは、生きて辿ってきた道が違うから、違って当たり前なんだけれども、改めて気付かされる場面で、面白いなぁって膝を打つ。それが快かもしれない。

相手が浮かんで、喜ぶ顔が浮かんで、私自身の心が納得して温かくなるものを、相手にあげたいなって思う。好きな人に対して何でもない日にお菓子を買ったりお土産を買ったりしちゃうのは、笑ってほしいからで、笑う顔が見たいからで、大事な猫におやつをあげている気持ちと同じなのかもなぁ…猫じゃないって怒られるけど。

私は、心が動くものにお金を払いたいし、そういうときに気持ちよく払える経済力はつけたいし、困った顔を少しでも和らげるための力がほしいって思う。
だから、心の動かないお土産は買えませんでした、っていう長々とした言い訳でした。実家から戻ってくるときには、スーツケースに入らないくらいお土産買ってしまいそうなので、そこは自制心を働かせます。では、いってきます。

#毎日 #なんでもないこと #金曜日のフライト

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