つけた傷の向こう側 人は笑うように生きる

日常が、壊れてしまう気がした。もう一度、つくりなおさないといけなくて、それがただ怖かった。ただ、毎日を生きる大切な人を、近くで見ていることがしあわせなのに。その優先順位をあげると、苦しくなる。柔軟でいたい、しなやかでいたい。自分の機嫌を自分でとれるように、って頑張っていたはずなのに。気がつけば、全然できていないどころか、大切な人に当たっている。最低だ。

なにもかもが終わってしまう、そんなことはないのに、勝手な妄想が広がっていく。いま、大事にしているものの視点を変えなくては、大事なものさえ失ってしまう。焦る。

乱暴にプレステの電源を抜いて、テレビの電源をつけた。伝えたいことは、伝えたい意味で伝わらなくて、彼にぶつかって二人の間に落ちて割れた。それはわたしのせいで、わたしが感じたモヤモヤを適切に伝えるちからを持たないせいで、その努力を怠ったせいで。

元気なときは、大丈夫だと思えるし、割と包めるほうだと思う。許容できる。それはきっと、わたしが過去のわたしにしてあげたかったこと。だから、目の前の大切な人へ行動するとき、過去のわたしもひっそりと救われている。
問題なのは、元気が出ないとき。自分の機嫌は自分でコントロールしにくくなって、攻撃的になる。根っこの部分で、自分のことを満たすことができていないんだと、痛感する。相手を傷つけて、自分も痛みを味わって、もっと悪循環にはまる。

3月の目標は、水分を摂ること。体を動かすこと。無理しないこと。
会社でお湯を沸かしてタンブラーに入れて、とにかく白湯を飲む。通っていたピラティス教室で習ったことを、Instagramを見ながらやってみる。無理しない、のは、誰かに助けを求めてみることを試してみた。格好悪いし、できてないって認めることだから、勇気が必要だけど、声をあげたらちゃんと助けてくれる人たちばかりで、温かい。忙しいのに、時間を割いてくれること、説明してくれること、自分の考えを伝えてくれることは、愛だなぁと。

悪循環にはまっているとき、できないできないって、自分に暗示をかけている気がする。そうじゃなくて、「どう考えたら進めるっけ?」みたいな思考に1mmずつでも軌道修正する胆力みたいなものが、自分をごきげんにする力なのかもしれない。ただ自分のことを甘やかしても目の前の状況は解決しないから、やるしかない。つぶれない程度に、やってみる。

少しずつ、本当に少しずつだけれど、前を向けている気がする。一気に、ひとっとびに進もうとしないことが、無理しないってことかもしれない。考えすぎちゃうからこそ、無駄に心をざわざわさせないように、切り替えるスイッチを建設中です。お付き合いいただいているみなさん、ありがとうございます。雨だ、でも、今日は朝から筋トレしたからちょっと元気。いってきます。

#毎日 #なんでもないこと #雨の水曜日

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