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いとしまシェアハウスへ行ってきました

10月27・28日に1泊2日で糸島へ行ってきました!

~1日目~
夕方に駅に到着後、オーシャンビューの温泉へ。(きはち温泉)
いとしまシェアハウスに到着、ご飯作り(イノシシ肉の餃子、かまどで米を炊く、具沢山スープ、おかず)
焚火のもと、外でごはん→居間で飲みなおし→就寝
~2日目~
朝釣り(任意メンバー)→釣れなかったけど楽しかった
みんなで朝ごはん(土鍋ごはん、スープ、サラダ、一緒に寝た納豆)
もち米の収穫!稲刈り体験!
田んぼでお昼ご飯(グリーンカレー、サラダ、アジの南蛮漬け、枝豆ごはん)→お昼寝・休憩
のびるを収穫、別班はにわとりのためにバッタ捕獲
柿を収穫して皮を剥いて、干し柿にして縁側につるす
日本みつばちのハチミツを、巣ごといただく!贅沢おやつ!
まむしの湯で汗を流して、ダッシュで空港行きの電車に乗り込む。

2日間で、価値観が変わる。自分の外側じゃなくて、内側が少しだけ変わったかも、と思える体験ができることって、大人になってからでもできるんだ。そう思った2日間だった。えいや、と福岡に来てみてよかった。

ネットで見て知っている、Twitterから流れてくる情報だけじゃ、ほんとうのことって分からない。生のまま、肌で感じられる物事は、記憶に残る。身体に残る。息が吸いやすい、自然と家族のような距離感のシェアメイトたちの姿に癒された。自然体で生きるって、難しいけれど、そういう人たちのペースに巻き込まれてしまったほうが案外楽なのかもしれない。

その場所で生きることは、別の場所では生きないという選択だ。私自身も、就職後は大学まで過ごした鹿児島を離れて、東京で生きることを選んでいる。戻る選択肢も今はない。どんなに苦しくても、実家に戻りたいと思ったことは一度もない。

改めて、自分自身がどう在りたいか、問う時間も生まれた。会いに行けばよかった、と後悔する決断はしたくない。言い訳を作るのは嫌。一緒に暮らすとか、生きるとか、その地で生活するってことは、結構大切な意味を持つと実感した。だから、今、自分で選んでこの場所にいると思えることで、誇らしくなった。

いとしまシェアハウス内には、それぞれを許容しているやさしさと、肩書とかそういうものを抜きにして、その場にいてもいいよ、と言っているような柔らかさと、そして厳しさがあるように思った。

人が入れ替わっていくコミュニティ運営だからこそ、確実にやってくる別れが寂しいと千春さんは言う、その寂しさが苦手だとも。でもきっと、ここで暮らす人たちは思うんじゃないだろうか、家族より近い距離で生活したことは忘れないし、自分のからだの一部になっている。ここを離れたとしても、勝手に故郷のように思って、何度も戻ってきたくなるような感覚。そんな体験は、観光地では得られない、確実に”人”と結びついている。

今回は秋のはじまりだったけれど、四季を経験してみたいな。そこで暮らす人も含めた、いとしまシェアハウスのファンになってしまった。気になるみなさん、一緒に行きましょう!企画してくださったまいこさん、受け入れてくださった畠山千春さん(@chiharuh)、そしてシェアハウスの皆様、一緒に参加した皆様、楽しかったです!ありがとうございます。


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