眠くなるときの甘えたような声 もう一度名前を呼んで
嘉代子ちゃんの曲が染みる。ぱつんぱつんになっている、予定も、余裕の無さも。掬い取りたいものはたくさんあるのに、どうやって息をすればいいのか、たまによくわからなくなる。
1次情報にあたる、って生きていくうえで大事なことだ。誰かが言っていた話は確実にその誰かのバイアスがかかっている。それを分かった上で話すことだ。できるだけ、フラットに話したいと思うけれど、ある言葉を選んで、ある言葉を選ばないという時点で、もうバイアスがかかっている。だから、心地よい言葉もあれば苦手な言葉だってある。
できるだけ、1次情報を信じる。どれだけ信じている人の言葉であっても、それは他の人の話なのだとしたら、その前提条件のもとで話をするようにする。だって、本当のことなんて、本人しかわからないから。もしかすると、本人だってわからないかもしれないのに。
背景を死ぬほど想像する、不要かもしれないけれど、推し量る。それはもしかしたら不要かもしれないけれど、想像できる人間で在りたい。想像しすぎて疲れるとか、余裕がなくなって優しさが欠如するのはまた考えものだけれど。
非常階段で夏の始まりの風を浴びる。そのたった20分で、深い話ができてしまう、別にお酒もいらない。そんな時間を過ごせる人がいるってこと、幸せだと思う。難しいけど、でも、怒涛なんだよねって笑う彼女は私に嘘をついていないと思うから、背中を押したくなる。生きたいように、生きるってことが尊いと思う。誰を傷付けたって、傷付いたって、それを背負って笑う人のことを、私は美しいって思う。
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