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物語との境目をさまよう

昨日の日記。
情報の波に流されて溺れそうになる。今もうスマホを見たくない、ぼうっと光る画面を感じるのさえ嫌。「仕事」の定義ってなんだろう。結局、届けた人にきちんと届いたことを感じたいのか。明らかにキャパオーバーで、でも抱えるしかなくて、(本当の本当はそういうこともないのだろうけど)もっとできるようになりたい、余裕を持ちたいってただ思う。認めてほしいのか、感謝されたいのか、人のためだって言いながら自分のためなのか。

今日はだめだめな日だって認めるだけの強さもなくて、内側に押し込めて自分を納得させるのだけは慣れている。仕方ない、こういう背景がある、相手があるって納得させる。たくさん欲しがらない。期待通りのものが得られなくても、大丈夫っていい子で笑っていられるのが、本当に私が在りたい姿なのかは分からなくなるけれど。

ぼうっとする頭で、無心になれる世界に浸った。辻村深月さんの最新刊「傲慢と善良」
私の決断は、いままでの行動は、選択は、正しかったのだろうか。これからの選択は。地方を出て、上京してきた自分の姿とそれを取り巻く環境と何度もリンクした。『悪意を知り、打算を学ぶ。それは教えられるものじゃない。』さまざまな場面で登場するそれぞれのなかにある「傲慢と善良」、自分はそうでないと言い切ることはできない。小さな嘘を鈍感に許してくれる人たちに出会って生きていくことが、人間関係を築いていくことなんだろうと、ぼんやりと考えた。
『謙虚で、自己評価が低い一方で、自己愛はとても強い。』『ピンとこない の正体は、その人が自分につけている値段』ぐらぐらと、やわらかくてやさしい言葉で刺される。主人公女性の群馬にいる母親を指して『自分の物語が強いの、あとは退屈』と姉が言い放つ場面が印象的だ。きっと似たようなことがあちこちの家庭で起きている。

自分の力で、自分の物語を生きるって決意をしたら、あとはそう進むだけ。行動して、痛い目を見ないと気付けない。それでいい。そんなふうに思わせてくれた。

#毎日 #なんでもないこと

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