見出し画像

自分の分のさみしさを持つ。

ちゃんと、自分の分のさみしさを持つこと。
依存って多分、誰かに自分の分のさみしさまで持ってもらおうとするから生まれるのかもしれないな。

波があって、大きかったり小さかったりして、今日もナチュラルに死にたいと心のなかで唱えて生きる。誰しも心にメンヘラを飼ってると思ってるし、それには年齢も性別も全く関係ない。ある意味で性格、性質かもしれない。構わない、上等じゃん。結局はどう向き合っていくかだもんね。

彼と一緒に住んでいた時、気付かないうちに自分のさみしさを彼に押し付けようとしていた。自分が変えられないものを嘆くのは不毛だなと、今なら笑えるけどそのときは何でもないことが深刻になってしまって、話し合いができなくて、だめだった。

こっちに出てきてから4年目、引っ越しは3回したけどずっと同じ沿線に住んでいるので、そろそろ卒業したいなぁ。終電が遅いところに住みたい、ちょっとだけ大人になりたい。Instagramでフォローしている子が東京女子図鑑を勧めていて、試しに見てみたら駅や街のことを知ることができて結構面白い。ステージ毎に仕事や男や住む場所を変えていく主人公、きっとそれは生きていくために適応することで、自分が変わらないところを変えないために、変えていくことなんじゃないのかな。

ちっともまとまらない文章になったけど、私は書き続けようと思う。それが今は自分のためであっても、やり続けてみよう。変えられるのは自分だけ、期待はしない。それは決して達観してるわけじゃなくて、希望なんだよな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?