窓際目の際お気に入りの花
珈琲とクラシック、不機嫌な若い店員、効きすぎた暖房、そういう全部が心地よい朝だな。PCのカタカタとキーボードの音さえ邪魔に感じてしまう。本を読んだり漫画を見たり、煙草を吸ったり。
いつもの生活圏内でない駅から出発して、電車に揺られる。都心に向かうわけじゃないから座っていられるのが嬉しい。充電が切れてしまわないかだけを少し気にしながら、自分だけの時間を過ごす。
自分以外の誰かと暮らすのには、そんなに抵抗はない。でも、自分の時間もすごく大切。ウインナーコーヒーとフルーツサンド、好みのセットを注文する。どちらも甘くて組み合わせとしてはセンスがないかもしれないけれど、食べたいものを食べたっていいじゃない。前に、料理を教えてもらったときに、パンケーキとお味噌汁の朝ごはんでもいいでしょ、と凛とした笑顔で言っていた人が浮かんだ。
最近、あまり自分の部屋に長くいる時間がなくて、冷蔵庫はほとんど空だし、そもそもの移動距離が億劫になって、帰るのが面倒になっている。引っ越すにも、足は重たい。まだ更新まで1年くらいはあるし。
不機嫌な女の子は丁寧に新聞を読んでいる。よいしょ、という声とか、小さな声で通る注文とか、この空間だからこそだな、ってところに間借りさせてもらっているような、体験をコーヒーで買っているような気がして好きだ。
人の家に泊まるのが好きなのも、そういうところがあるのかもしれないな。非日常を見せてもらえる、オフの姿を知ることができる、パリッとした姿だけじゃなくて、違う部分とかその人の中では当たり前のこだわりみたいなものを見せてもらえるとか。ふたつ並んだ日常の世界が特別に見える。なんか、ちゃんと生きててえらいな、みたいな。大袈裟に聞こえてしまうと思うけれど。
お皿を洗う水の音を聞きながら、生クリームたっぷりのコーヒーの下の苦い部分を探している。音楽が好き、それは紛れもなく両親の影響だな。時間で色を帰る毎日を、慌ただしいなかでも見つめる時間をつくるのは、息継ぎみたいな、深呼吸するみたいな、そういう感覚。
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