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わたしの実体は「愛」

自分の中で

とんでもない恐れが湧き上がってきていた。

わたしの中で

最悪を見てみなさい、と聖霊に言われて

本当に怖いけど見てみた。

なぜって?

わたしは子どもの事で
悩んでいたから。

聖霊にあなたが愛を投影する矛先は
いまは、子どもだよと言う感覚を
受け取ったから。


実は
わたしの長男は高ニのときに家出している。

多分発達障がいがあって。

彼から12年ぶりに連絡があったとき
彼の感覚で、
この世的には地獄の中にあったと思う。

彼は、その時、仕事もできず
アパートの家賃も払えず、
借金もあって

自殺寸前だった。

「俺はいつでも腹切りの覚悟はできてるんだ」

「一度も幸せを感じたことはない」

そう言われた。

彼のなかでは
わたしはとんでもない母親らしかった。

だけれど、死にきれなくて
その状態で連絡がきた。

アスペルガーで
母源病の概念に染まっていて

何もかもが母のせい、みたいな概念が
あったと思う。
発達障害の故なのかもしれないけど、
思いこんだら、こう!みたいなところがあり
その概念はなかなか溶けない。

そんな中で、最後の頼みの綱として
わたしに連絡をくれたことに
わたしはとても感謝した。

「生きてて良かった!」

「神様ありがとう!」

わたしにはそれしかなかった。

それで過ごしてきたのだけれど、、、、

それはわたしの恐れに蓋をしてきたのだと思う。

触りたくない部分だったから。

でも、
今回、献身滞在の最後の朝
聖霊に子どものことに取り組むよう導きがあったとき

わたしは正直
「とうとう来たか」と思った。
「キツイなー」と感じた。

彼に対するとんでもない罪悪感を
みることになるのは
わかっていた。

だから、恐れで到底1人で見れずに

奇跡講座の仲間の直子さんと一緒に

平安へのツールをやってもらった。  

平安へのツールとは、、、これです。

平安へのツールをやったら

「わたしのせいで!」という地獄のような信念がでてきた。

直子さんに

「神の代わりに自分が責任を取ろうとしてるんだよ。

神を追い出したのは自分だから
自分がなんとかしなきゃって思ってるんだね、

でもわたしの責任は
自分が神の子であることを受け入れるだけなんだよ」と言ってもらった。

子どもの幸せは
わたしに責任があると
心のどこかで強烈に信じていたのだと思う。

今回
それを手放すのに

本当に
聖霊助けて!と祈りながら

聖霊の導きで深く深く見ていくことになった。

わたしの心の恐れと救済への強固な抵抗に
取り組むことになった。

泣きながら
逃げ出したいと思いながら

これが聖霊のガイダンスなら
やるしかないと思った。


そんな中で
子どもとわたしの最悪を見てみようと言われて、

最後に出てきたのは

子どもとわたしが真っ暗な地獄の底にいるビジョンだった。

聖霊からの光を拒否していた。

拒否して、やっと神から
完全に分離できた、と
どこかでホッとしていた。

もちろん神からの分離は起こってないのだから
それは、完全にエゴの知覚なわけで。。

とたんに起こる、とんでもない罪悪感、寂しさ、憂鬱。

身の置きどころのない感じ。

何度も何度もリアル土下座した。

「神様、たすけてー!」

絶叫につぐ絶叫。

その日の夜
真我なるハートの勉強会で
のりこさんに助けを求めた。

だって
1人では無理だったし。。

それでわたしは
恐れを罪とみていて
絶望を罪と見ていたことに氣づかされた。

罪じゃないとしっていたけど
エゴって
これでもか!って見せてくるねー。

のりこさんに
「おそれは罪じゃないんだよ。
恐れはわたしの中の「愛と助けを求める泣き叫び」なんだよ」と言われて

それを腑に落とすためにも
部屋中にこの言葉をはって

瞬間瞬間言い聞かせることを提案してもらった。

ありがたい。

勉強会の合間に何枚も書いた。

「恐れは罪ではない

わたしの中の愛と助けを求める泣き叫び

わたしの実体は「愛」」

さっき家中に貼って
瞑想したら

確かに
確かに愛が入ってきたよー

何もかもがありがたし!

感謝だなあ。

聖霊も兄弟たちもありがたいなあ。

愛だなあ。







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