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亡国の道…へと直走らせるメディアの存在意義のなさ

❌昨晩のトップニュースは、水原一平氏の裁判の結果。
❌今朝のトップニュースは、政治資金規制法(ザル法)の件。

🔴国家としての存立に関わる「少子化問題」に、皆目歯止めがかからず、拍車がかかっているのではないのか?

今から丁度20年前の2004年に、【1.29ショック】で大騒ぎしていたのが、遥昔の遠い記憶になってしまった。

昨日発表された出生率は1.20だ。

更に下回ってしまったことは問題ではないのか?

以下、参考まで

以下は、上川外務大臣が、いち衆議院議員時代に寄稿した論考。

喉元過ぎれば熱さ忘れる…。

非常にめでたい国民性は露ぞ変わり映えしない。



🔴そして、どさくさに紛れて、国民的議論もないまま【地方自治法の改正】に直走る…。

緊急事態を想定して…という建前ながら、その実は、地方自治体の手足を縛り付けるものであり、一歩間違えると、「表現の自由」すら奪うようなものに成り兼ねないない危険性さえあるのに…。

私が脱サラしたのは、ちょうど地方分権一括推進法が成立した2000年(平成12年)であった。法律関係職を業とすべく行政書士試験に挑戦した年であったことから、とてもよく覚えている。

四半世紀前のことながら、自身の転換期でもあったことや、政治行政に関心が強かったこともあり、三重県の北川さん、鳥取県の片山さん等、改革派の知事が各地で声を挙げていた時代だったことを昨日のことのように覚えている。

何を考えているのか?
考えてすらいないのか?


コロナ禍の明確な検証もケジメも実質的に、いや一切ないまま、やりたい放題のフリーハンドを持とうとしているに等しく、「国と地方には上下もない」という重要な理念を、国民的な議論もないまま根本的に覆す暴挙に近い行為だと感じている。

実態は、行政権がフリーハンドをもつということ。

内閣は、行政機関であって、立法機関ではない。
つまり、国権の最高機関ではない。


私が議員になった時に市長をされていた福嶋浩彦さんが東京新聞に寄せられた内容です。まったく、その通りだと思います。


立憲政友会のポスターが訴える核心的論点

これは1928年の衆議院議員選挙の時の立憲政友会のポスターだが、地方分権の核心をついている言葉(理念)が記されている。

地方分権 丈夫なものよ
ひとりあるきで発展す

中央集権は不自由なものよ
足をやせさし 杖もちふ


最後までご覧いただき誠にありがとうございます。 引き続き、ご愛顧いただければ幸いです。