『日本共産党の百年』読書ノート その9


社会主義生成期論の「認識の制約」と「理論的限界」

『百年』で、「生成期」論を「社会主義に向かうレールの上に位置づけている点で、認識の制約と理論的限界をまぬかれない」とした。

『八十年』では、「生成期」論は「大局的には歴史的な過渡期の属するという見方の上にたったもので、今日からみれば明確さを欠いて」(おり)「限界」があった、としていた。

なお、『八十年』にあった「『生成期』論はその当時においてはソ連の現状に対するもっともきびしい批判的立場でした」が『百年』では削られている。
一方、『百年』『八十年』ともに、旧ソ連社会論については「認識を発展」させたとしている。

すでに『八十年』の時点で、「生成期」論に明確さを欠き限界があったと書いており、『百年』で「生成期」論について新たな(もしくは別の)認識に変更した、というわけではなさそうである。ただ「生成期」論が"もっとも"きびしい批判的立場だったと言うのはやめにしたようである。

では、「認識の制約」、「理論的限界」(『百年』)とは何か。
現在、日本共産党は、ソ連はスターリン時代にすでに過渡期ですらない人間抑圧型社会に変質していた、との認識だ。

しかし、生成期論を編み出した1977年以降ソ連共産党崩壊までは、「『過渡期』の軌道から逸脱した多くの否定的現象がみられることを認識しつつ、それでもなお、経済的土台についての当時の歴史的にも制約された認識などから、ソ連を資本主義から社会主義への『過渡期』にある社会とみなしていた」(足立正恒「第20回党大会における社会主義論の発展ー『生成期』論と『過渡期』論を中心に」・『前衛』1994.12)。

経済的土台については歴史的な制約から過渡期だと誤認してしまい(認識の制約)、過渡期だからいずれ否定的現象を克服するはずだという期待込みの理論のため、"別のX社会へ変質するなんて想定外"という意味で限界があった(理論的限界)ということか。

(79年12月の日ソ両党会談で)……党は、ソ連が「発達した社会主義」の建設をすすめているということを共同声明に記述してほしいという、ソ連側の執ような要求を拒否しました。
党は、ソ連などの実態の検討にたって、現存する社会主義はまだ「生成期」であるにすぎないとみていたからでした(第14回大会決定、77年10月)。しかし、ソ連などの現状を、「生成期」とはいえ、社会主義に向かレールの上に位置づけている点で、これは、認識の制約と理論的限界をまぬかれないものでした。
その後、党は、崩壊前のソ連は社会主義への過渡期でさえなく、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会に変質していたという見地に到達してゆきます(第20回大会、1994年)。(p34ss3-4)

(1994年の第20回党大会で)…とくに、旧ソ連社会の内実のたちいった研究にもとづいて、旧ソ連社会論についても認識を発展させました。…ソ連社会では、革命の出発点においては、社会主義をめざす努力をはじめたが、スターリン以後、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会主義社会でも、それへの過渡期でもない、社会主義とは無縁な人間抑圧社会に変質したという、党の結論的な認識を明らかにしました。この認識は、綱領路線と自主独立の立場を貫き、ソ連の覇権主義に対する歴史的闘争によって可能となったものでした。(pp43s4)

『日本共産党の百年』

(79年12月の日ソ両党会談で)…党は、ソ連が「発達した社会主義」の建設をすすめているということを共同声明に記述してほしいという、ソ連側の執ような要求を、断固として拒否しました。
党は、77年10月の第14回党大会で、ソ連などの実態の検討にたって、現存する社会主義はまだ「生成期」であるにすぎないという見解を決定していました。
党はその後、崩壊前のソ連は社会主義への過渡期でさえなく、そもそも社会主義といえるものではなかったという見地に到達しますが、「生成期」論はその当時においてはソ連の現状に対するもっともきびしい批判的立場でした。(p224)

(1994年の第20回党大会で)…とくに、旧ソ連社会の内実のたちいった研究にもとづいて、旧ソ連社会論を大きく発展させました。
…ロシアの社会主義革命は、革命当初の時期には、世界の進歩に貢献する業績を残したが、その後、スターリンらによって、旧ソ連社会は社会主義とは無縁な体制に変質したことをあきらかにしました。そして、ソ連・東欧諸国の支配体制の崩壊は…覇権主義と官僚主義・専制主義の破産だと解明し(た。)
…綱領は、スターリン以後の旧ソ連社会が、社会主義社会でも、それへの過渡期の社会でもなかったというところに、党の認識の到達点があることをしめしました。そして、…党が77年の第14回党大会で定式化した社会主義「生成期」論の役割と限界をあきらかにして、「当時はまだ、旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的には歴史的な過渡期の属するという見方の上にたったもので、今日からみれば明確さを欠いていた」と述べました。党の社会主義論の創造的発展は、綱領路線と自主独立の立場をつらぬき、ソ連の覇権主義にたいする徹底した闘争・批判とむすんだ認識の発展を、土台としたものでした。(p287)

『日本共産党の八十年』

「われわれは、資本主義社会から社会主義社会への転化の過程は、世界史的には、まだその生成期を経過しつつあるにすぎないこと、すでに社会主義への道にふみだした国ぐにが歴史的制約や否定的傾向を克服して前進する過程、先進資本主義諸国の人民が…民主主義的変革などの段階をへながら…社会主義的変革にふみだす過程、…新旧植民地主義の支配からはなれて民族自決と社会進歩の道を前進する過程ーーこれらの合流を通じて、社会主義の本来の優越性と生命力が…全面的に発揮される新しい時代に到達することは、科学的社会主義の原則的見地から正確にとらえる必要がある。」(日本共産党第14回大会決議)

『日本共産党の七十年』p66

中国に対する綱領上の規定の見直し(2020年第28回大会)について、志位幹部会委員長は次のように解説する。
・「誤りは克服されるだろうと期待する」根拠はないと判断した。
・中国にたいして「社会主義をめざすかぎり長い目で見れば誤りは克服される」という期待はしない。
・現存自称「社会主義」国に、こういう判断したのは初めて。

わが党は、1960年代以降、ソ連と中国という「社会主義」を名乗る国の大国主義・覇権主義、人権抑圧への批判に取り組んできました。ただそれは、どれも相手が「社会主義国」だということは認めたうえで――当然の前提にして、その「社会主義国」の中に生まれた、社会主義の理念に反した誤りへの批判として行ったものでした。批判のなかで、わが党は、「社会主義国」であるかぎり、誤りはいずれ克服されるという大局的な期待も表明してきました。…
1970年代に入って、ソ連が当時、自らを「発達した社会主義」と言ったのに対して、ソ連が誤った行動をとるのは「社会主義が世界史的にみれば生成期だからだ」と主張したこともありました。…
中国との関係では…1989年の天安門で行われた血の弾圧にさいしては、「鉄砲政権党」という厳しい言葉も使って断固とした批判を行いましたが、これも「社会主義国」の中に生まれた誤りへの批判として行ったものでした。…
今回の綱領改定は、これまでの批判とは違います
中国にあらわれた大国主義・覇権主義、人権侵害を深く分析し、「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国とみなす根拠はもはやないという判断を行ったのであります。そうした判断をした以上、「社会主義をめざすかぎり長い目で見れば誤りは克服される」という期待の表明も当然しておりません。
中国という「社会主義国」を名乗る国が現存するもとで、そういう判断をしたのは、「社会主義」を名乗る国の大国主義・覇権主義との闘争を始めて以来、今回が初めてのことであります。「新しい踏み込み」があると言ったのは、そういう意味であります。

志位委員長「改定綱領が開いた『新たな視野』」(2020.3)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2020-03-22/2020032204_01_0.html

参考:党綱領における「社会主義国」に関する規定

◆綱領(1976.7・第13回臨時党大会)【生成期論を打ち出す前】

第2次世界大戦後、国際情勢は根本的にかわった。社会主義が一国のわくをこえて、一つの世界体制となり、…社会主義世界体制は人類社会発展の決定的要因になりつつある。世界史の発展方向として帝国主義の滅亡と社会主義の勝利は不可避てある。
…世界的規模では帝国主義勢力にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位がますますあきらかになっている

日本共産党綱領(1976.7.30 一部改定)

◆綱領(1985.11・第17回党大会)【生成期論に基づく改定】

社会主義が一国のわくをこえて地球人口の3分の1をしめる地域にひろがった。…社会主義諸国は、その一部に顕著だった発足時の社会、経済状態の歴史的たちおくれにもかかわらず、全体としては、社会主義の制度的優位性を生かして前進をとげた
しかし、この間、一部の社会主義国の国際、国内問題に生じた社会主義からのさまざまな逸脱にもとづく否定的現実は、歴史の発展にそむくものであり、世界の心ある人々を悲しませた。

日本共産党綱領 (第17回大会、1985年11月24日一部改定)

◆綱領(1994.7・第20回党大会)【ソ連崩壊後】

 社会主義をめざす国ぐには、第二次世界大戦後、世界の広大な地域にひろがった。しかし、最初に社会主義をめざす道にふみだしたソ連では、レーニンの死後、スターリンを中心とした指導部が、科学的社会主義の原則を投げすてて、対外的には覇権主義、国内的には官僚主義・専制主義の誤った道をすすみ、その誤りはその後の歴代指導部にもひきつがれ、ときにはいっそう重大化した。
…覇権主義の誤りは、社会主義をめざす他の一部の国ぐににもあらわれた。これらの逸脱から生まれた否定的現実は、歴史の発展にそむくものであり、世界の心ある人びとを悲しませた。
…ソ連およびそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国の支配体制の崩壊は、科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産である。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標がかかげられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた。ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の解体は、大局的な視野でみれば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性をひらいたものである。

日本共産党綱領 (1994年7月22日 一部改定)

◆綱領(2004.1・第23回党大会)【社会主義めざす新しい探求規定を追加・抹消線部分】
◆現綱領(2020.1・第28回党大会)【中国は社会主義でないとして当該規定を削除】

 最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
…ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で1989~91年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。
 ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。
 今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、「市場経済を通じて社会主義へ」という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、人口が一三億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしていることである。

日本共産党綱領(2004.1.17 改定)
日本共産党綱領(2020.1.18 改定)

以下は、私の勝手な解釈で、私的にこういう理屈を脳内に構築して自分自身を納得させるためのメモ。

社会主義生成期論とは、ソ連の「発達した社会主義論」へのアンチテーゼとして考え出されたものだ。
「発達した社会主義」は、ソ連共産党が自国社会を正確に分析した結果ではなく、政治的プロパガンダ色が強く、"ソ連はトップランナーですよ、おまいら言うこと聞けよ"と言いたいがためだけの用語であった。
だから、その概念の正しさを証明するにあたっては、ソ連社会を分析して確証するのではなく、他国の共産党からそう呼ばれることで証明する以外になかった。当然世界の共産党にその使用をおしつけてきた。

そこで、日本共産党は、ソ連に限らず、どの社会主義国がどのように自国を規定しようとも、そういう「おしつけ」すべてに対応できる万能の剣をあみだした。それが生成期論なのだ。

「生成期」は、革命政権樹立直後の国であれ、ロシアのように半世紀を経過した統制社会であれ、市場経済推進中の中国であれ、良い面も悪い面もひっくるめ、かつ、今後の発展を期待します感を込めて表現できる便利ワードである。すくなくとも社会主義に向かうレールの上にいることを前提にしている「生成期」と相手に言っておけば、相手も否定できないのだ。

ただ、この万能剣にも弱点はあった。万能剣を構えると、相手が「社会主義ではない別のものに変質した国」であっても、「社会主義をめざす国として取り扱ってしてしまう」ことであった。

「発達した社会主義」論のアンチとしてつくられた「生成期論」も、現実の社会経済構成体を分析して抽出された用語ではない。
そのため、"では、ソ連社会はどういう社会だったのか"と突っ込んだ質問がきたら、「『教条的な図式主義をしりぞけ』、実態に即した具体的、分析的研究の重要性を指摘している」との回答になる。
国家資本主義、初期社会主義、開発独裁、過渡期経済、堕落した労働者国家、社会構成体としてどれが正解なのか日本共産党としても確定的なことは分からないので言わないのである。しかも他国のことである。

ただ日本共産党としてハッキリ言えることは、ソ連の経済的土台が「生産手段の社会化」を実現していたかどうかは別にして(それは教条的図式化せずに分析したらいい)、とにかく、「人民が工業・農業で経済の管理からしめだされ、抑圧される社会は、社会主義社会ですらなく過渡期でさえもない」、ということだけは、党としてはっきり言っておく、ということである。

なお、ソ連崩壊後も、中国が「社会主義国」を自称していたため、「生成期論」自体は残しておいた。中国はまだ期待度ゼロではなかったのである。
しかし、中国も結局、覇権主義と官僚主義・専制主義であったので、まだ崩壊していないが、「社会主義をめざす国ではない」と2020年の第28回党大会で決定し、「期待度ゼロというか期待の対象にしない」と判定した。
万能剣を構えるのをやめたのである。しかも相手が生きているうちに構えるのをやめた。これは正解だった。

ということで、「生成期論」は誤りであったからとかそういうものではなく、万能剣を構えるのをやめて脇に置いた、のだと私は思っている。

おまけ:社会主義生成期を英語で言うと

『日本共産党の八十年』の公式英訳本"Eighty Years of the Japanese Communist Party"の該当箇所のコピーを手に入れた。
「生成期」は日本共産党が生み出した和語なので日本共産党国際部や赤旗外信部の腕のみせどころである。
 社会主義生成期 socialism in the formative stage
 社会主義とは無縁な体制 a system that was totally alien to socialism
 過渡期の社会 a society in transition to socialism
 発達した社会主義 developed socialism
 社会主義をめざす国 countries which seek socialism

Eighty Years of the Japanese Communist Party, 2004, Japan Press Service, p276(『日本共産党の八十年』p287 の箇所)

生成期は"formative stage"であった。ググると「形成期」と和訳されることがほとんどのようだ。formative stage の用例も見てみたが、「形が作られつつある段階」という意味で用いられている。
社会主義の本来あるべき形にはまだ至っていないが作られつつある段階、という感じか。ソ連共産党にしたらあまり気分のよいものではないが、さりとて否定もできないという点がポイントである。

つづく

ホーム画面へ
https://note.com/aikawa313

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?