『日本共産党の百年』読書ノート その7


外国党と関係をもつ際の基準

『百年』では、第10回党大会での外国共産党との関係に関する記述が追加されている。『八十年』にはない(あるかもだが見つけられない)。

第10回大会(66年10月)…は、重要な意見の相違がある外国党とも、日本に対する干渉と破壊を基本態度としないかぎり、一致点での共同のための努力をつくす、干渉と破壊を基本態度とする党とは関係をもたないという方針を決めました。

『日本共産党の百年』p28s2

<2023.8.26追記>
この記述は、以下のような文脈で語られる。

一例としてルーマニア問題についての位置づけのもんだいである。
…国内的に個人崇拝ないし社会主義的民主主義の欠如の傾向がある場合には、それを第一義として、覇権主義、大国主義批判の共同文書を出すできでないという見解がある。そこから、わが党の第10回大会決定の国際関係についての交流の基準を不備とするものである。…
そこの指導者の個人崇拝などの問題は基本的には内政問題であって、われわれが不同意だからといって、それを理由に公然とその国々へ論戦をかまえるということはしなかった。
…人権問題をもつ国の党を交流相手として除外すると明記しなかったのは、それらの問題を軽視したからではなくて、国内的要素の多いこれらの問題を欠格条項とすることは、正確な認識の問題としても困難であることを考慮せざるをえなかったからである。
…ルーマニア問題についてさらに言及すれば…チェコスロバキア侵入に…唯一反対した党として…当然重視すべき存在であった。個人崇拝などがない国だと錯覚していたものでないことは明白である。人権問題がない国と錯覚していたわけでもない。…アムネスティ・インタナショナルの年次報告書や国別報告からだけで、あの時期ルーマニアが人権侵害国として突出しているという結論を引き出すのは難しい、というのがわが党の研究者の声である。…アムネスティ・インタナショナルの報告書は世界各国にわたっているが、そこからチャウシェスク政権がなぜああいう結末で崩壊したかを直接解明する決め手はないのである。

宮本顕治「歴史にそむく潮流に未来はない」(『前衛』1990.10)

<追記おわり>

個人崇拝の強まりを目撃

『百年』に以下の記述が追加された。『八十年』にはない。
短期間の滞在でも個人崇拝に気づくことは可能なのである。

(68年の北朝鮮労働党との会談の訪問の際に)党代表団は、宿舎に盗聴器をしかける北朝鮮の秘密警察的なふるまいに遭遇し、金日成への個人崇拝の強まりも目撃しました。

『日本共産党の百年』p28s7

1968年の北朝鮮訪問中に、強い印象をうけたことの一つは、金日成への個人崇拝の体制化がはじまったということでした。今日の…"世襲王朝"化と比較すれば、まだごく萌芽的な段階でしたが…学校を訪問しても、工場を訪問しても…当局者が、かならず、自分たちは金日成首相から親しく7回にわたる直接の指導をうけたとか…誇らしげに強調します。…
訪問中の見聞を通じて、私たちが危惧を感じた個人崇拝は、その後、急速に奇怪な肥大化をとげ、北朝鮮の政治と社会を、絶対主義的な王朝の統治下を思わせるような体制にかえてしまいました。

不破哲三「北朝鮮 野蛮な覇権主義への反撃」(赤旗1992.4.14-4.20)/『新版たたかいの記録ー三つの覇権主義』p262-266

チェコ事件無署名論文の「不用意な批判的論及」と複数政党制

『百年』。チェコ事件の箇所。『八十年』(pp196-197)も『七十年』(上p366)も、『百年』と同様で「不用意な批判的論及」に関する詳しい説明がない。

当時党が発表した論文のなかには、チェコスロバキアの改革運動の評価について、政治的民主主義が社会主義のもとでどうひきつがれるのかについて、まだ研究をつくさない段階での不用意な批判的論及が含まれていました。党はこの直後から、社会主義のもとでの民主主義のあり方の探求を本格的に開始しました。

『日本共産党の百年』p29s3

そこで、無署名論文「チェコスロバキアへの五カ国軍隊の侵入問題と科学的社会主義の原則の擁護」(赤旗1968.10.1)にあたることにした。
チェコスロバキア共産党が、資本家にも選挙権(政治的自由)などを与えようとしていることを同論文は批判している。
以下同論文から引用。

(チェコスロバキア共産党の)「行動綱領」は、社会主義的民主主義の具体化として、無制限の「表現の自由」「出版の自由」「集会や結社の自由」を宣言したが、これは、社会主義的民主主義の名で事実上ブルジョア民主主義を導入する「純粋民主主義」(レーニン「ブルジョア民主主義とプロレタリアートの独裁についてのテーゼと報告」1919年、全集28、493ページ)であり、反社会主義勢力に活動の自由をあたえる重大な右翼的誤りである。
社会主義的企業に「自己の組織的所属についての選択権」を与え、「企業の上級機関にたいして国家的行政権を付与してはならない」とし、企業が自由意志によって連合したり、連合から脱退したりできるようにした「行動綱領」の規定も、「純粋民主主義」の経済版であり、社会主義的計画経済を弱体化させる危険をもつものである。

勤労者にとっては民主主義であると同時に搾取者に対しては独裁であるプロレタリアート独裁の正しい意味での強化が必要となり、したがってまた、過去の誤りを適切に訂正しつつ共産党の指導的役割を強化することが、とくに重要な課題となっていた時期に、「行動綱領」のなかにフルシチョフ流の階級闘争消滅論と、それにもとづく極端な「民主化」が危険な役割をはたすことは明瞭であろう。

無署名論文「チェコスロバキアへの五カ国軍隊の侵入問題と科学的社会主義の原則の擁護」(「世界政治資料」1968.10.25 pp14-15)

同論文の「不用意な」箇所を修正したのが『百年』で紹介(『百年』p29s3)されている不破論文「日本革命の展望と複数政党の問題」。
『八十年』には記述ないが、『七十年』では都議選での反共攻撃への反撃についての叙述の中で触れられている(『七十年・上』p392)。
日本共産党の複数政党制に係る見解が整理されたのはチェコ事件が契機だったということに初めて気づいた。
以下不破論文から引用。

レーニンは…搾取者からの選挙権のはく奪が「独裁という敵視的・階級的概念」の必須の特徴ではなく、「純ロシア的な問題」であることを指摘し(ました)…。
レーニンのこの指摘は、基本的には政党制の問題にもあてはまることです。ロシア革命のばあいには、革命後の一連の経過をつうじて…一党制がとられるようになりましたが、このことも、選挙権の制限問題と同じように…プロレタリアート独裁一般の問題でもなければ、…「必須の標識」をなすものでもありません。

不破哲三「日本革命の展望と複数政党の問題」(「前衛」1969.10 pp50-51)

現在であれば「複数政党制はどうするのか」と問われたら、「反対政党を含む複数政党制は将来にわたって当然保障する。共産党が政権をとってもなくしません(キリッ)」と明言する。現綱領にも「…反対党を含む複数政党制、選挙で多数を得た政党または政党連合が政権を担当する政権交代制は、当然堅持する」と書かれている。
しかし、上記不破論文がでるまでは、どのように回答していたのか以下の宮本書記長の発言からうかがうことができる。

(…過半数をとって革命を有利に展開するという反面、議会について…反対政党をみとめるのか…)
宮本 …議会制度…は、社会主義になっても…一貫して必要なものです。…いまのチェコスロバキアやポーランドなどでは…複数政党制なのです。…共産党がかりに政治の中心になる場合でも、われわれは共産党一党だけで、ほかの政党がなくなるとは考えていません。
(…まったくの反対政党もみとめますか)
宮本 …社会主義の世の中になった場合…独占資本を代表する政党の存在の客観的条件がなくなります。政治勢力というものは、ある一定の状況の反映ですから、当然状況を反映する政党は活動をできるようにしなければいけません。…(独占資本の支配を終わらせると)社会主義制度を転覆するという反革命的な政党の存在の余地はなくなります。

「NHK、12チャンネルでの宮本書記長の発言」(『前衛』1968.8臨時増刊 p350)

党の代表者

『百年』の第11回大会(1970.7)に係る部分。
『百年』には従来の党史にはなかった「党の代表者は幹部会委員長(宮本顕治)」との記述が追加された。

(第11回)大会は、規約を改正して、中央委員会議長、幹部会委員長、書記局長という中央委員会でのあらたな任務の分担を決め…ました。
こうして、党の代表者は幹部会委員長(宮本顕治)となり…ました。

『日本共産党の百年』p29s6

「議長は大統領、委員長は首相」と宮本顕治氏が記者会見で説明するのを読んだ人も多いと思う。
政治資金収支報告書では委員長を「代表者」としてるらしい(wikipedia)が、それなら当時からそう説明すればよかったはず。
なお、『百年』では中央委員会議長に野坂参三氏が選出されたことを書き忘れている(『八十年』では記載あり)。

<2023.8.26 追記>
宮本顕治氏が、1990年8月に「幹部会委員長(が)日常的に党を代表する形が定着している」と書いていた。

第11回党大会で、私が新しいポストとしての幹部会委員長に選ばれて以後の記者会見などで、三役制について問われて、わかりやすさを念頭において、政権党の大統領と首相で、この首相は雑役ということをいったし、私自身が第16回党大会で議長職についたとき、スポーツの総監督と監督と説明したことがある。これは、最近のテレビインタビューでも問われて問題になったし、大会前の党内論議でも肯定的にこのたとえを引用した論者もあった。しかし、たとえはたとえであったし、今日の事態がこれらの説明で終わらすのは適切ではない。わが党の現実をみると、日常的に党を代表して党首討論会や政権党の総理の要請による与野党党首会談等にわが党を代表してでているのは幹部会委員長である。日常的に党を代表する形が定着している。…現実の政治状況に応じて指導体制を活用しているあらわれであって、そこに教条的な序列制を問題にしていないあらわれである。…
大会と大会の間の党の最高指導機関が、中央委員会であり、…また中央委員会は規約上党を対外的に代表する機関でもあるので、中央委員会議長の職責もしかるべき重要性をもっていることを否認することはできない。しかし、何かそれでわが国の政党政治において党を代表して活動している幹部会委員長の職責の重要性と矛盾するかのようにみることは当たらないである。そしてそれらは、「集団指導を個人責任」という党活動の原則のなかで、本質的な統一を実現している…

「日本共産党の指導部体制はどのような試練を経て形成されたか」(『前衛』1990.10 pp36-37・『前衛党の指導部論』1991.2 所収)

また、不破常任幹部会委員が、2011年刊行の『不破哲三 時代の証言』に「代表者は委員長」と書いていた。

党の人事の体制にも変化がありました。それまでは野坂参三議長ー宮本顕治書記長という議長ー書記長体制だったのですが、この大会で党規約を改定して、「議長ー委員長ー書記局長」体制に変わったのです。
新体制では党の代表者は委員長となり、書記局が日常の党務の執行に当たることになりました。

不破哲三『不破哲三 時代の証言』(2011.3) pp97-100

なお、第17回党大会(1985.11)の規約改定で、中央委員会議長が必置の役職(それまでは任意設置の役職だった)となり当時の宮本議長が形式上も実質的にも代表者になったと私は思うのだが、その点については『百年』は何も触れていない。第21回大会(1997.9)で再び中央委議長は任意設置の役職となり第22回大会(2000.11)で不破氏が中央委議長に選出されるまで空席となる。

<追記ここまで>

沖縄人民党

『百年』の「沖縄人民党の合流」の部分(『百年』p30ss3-5)。
『八十年』は数行だったが大幅に分量が多くなった。
沖縄人民党の規約ってどんなものか気になったので調べた。日本共産党の61年綱領や規約を参考にして作ったのかと思った。

沖縄人民党規約
前文
1,沖縄人民党は、アメリカ帝国主義の軍事的植民地支配のもので、搾取、収奪、抑圧をうけて苦しんでいる労働者、農民、漁民、中小企業者、知識人、婦人、青年、学生など各階層の県民の利益を代表する民主的な大衆政党である。
2,党は、アメリカ帝国主義と日本独占資本を代表する米日反動政府によって結ばれた日米新安保条約下で、沖縄の核武装の強化と永久属領化が強行されていることに反対し、過酷な軍事的植民地支配による搾取と抑圧から県民の生活と権利と民主主義を守り、平和のためにたたかい、原水爆基地を含めたいっさいの米軍基地を撤去させ、一日も早く祖国に復帰し、日本国憲法のもとで真に日本国民としての権利を回復し、平和で民主的な生活をかちとるという面民んの正当な要求実現をするためにたたかう。

(沖縄人民党第15回大会)

沖縄経営者協会『沖縄における革新勢力の内幕 : 革新勢力の今後の闘いを追って』(1967) p158


つづく


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