言葉の貯蓄
中学から親元を離れ、寮で生活していた。中高一貫校だったので、3個上の姉も同じ寮にいたが、姉は寮内ではムードメーカーで、勉強もでき、ピアノもクラリネットもコーラスもうまかった。
その一方、見るからに根暗な私は内向的で、勉強もできず、ピアノもホルンもコーラスもうまくなかった。おまけに信用もなく、色んな言いがかりで悪者にされた。誰も私を信じてくれない場所はどんどん窮屈になり、心も荒んでいった。
いつ死のうかと屋上から身代わりの鶴を落とす毎日で、全部の鶴を落とし終わったら私も飛ぼうと毎日思っては鶴を折り、腕や手の甲を傷だらけにし正気を保っていた。
それだけではなく、中学1年生の時の担任の先生に色々話を聞いてもらっていたことは支えになっていた。
卑屈になってはいけない あなたはすごい しゃんとしなさい!
時に厳しく時にやさしく私に必要な言葉をかけてくださった。だからか私は、年々明るくなっていった。その恩師の言葉で忘れられない言葉がある。
「人を助けたいのなら、まず自分が食べれるようになること」
言っている意味が当時の私にはわからなかった。マザーテレサの様に人を助けたいのにまずは自分?まずは人じゃないのかと。生まれながらのカトリックだったので、誰かのために生きることは自分を捨てることだと思っていた。
その言葉をずっと忘れることができず歳を取り、社会に出てわかってきた。
衣食住がきちんとしていれば、心に余裕が生まれる。心に余裕が生まれると人に手を差し出すことができる。
そして人を助けるということは物資の寄付だけではなく、思いやりでも人を助けることができるということ。
言われた当時は何のことかわからなかったけれども、立場や環境が変わっていくとわかってくること、その言葉の重さやありがたみがわかってくる。
何より、その言葉を忘れずにいたから、途中で気づくことができた。気づかなかったら今頃傷だらけで生きているのか死んでいるのかもわからない状態だったと思う。
誰かに言われた言葉の意味が分からなくても、貯蓄していくことは自分のためになるのだと思う。
何気ないあの人の言葉、腹が立つけどなんか引っかかる言葉、そういう言葉の貯蓄は後から膨大な財産となって自分を助けてくれる。
綺麗事のような終わりになってしまったけれど、綺麗事もたまには楽しんでみてもいいんじゃないかな。
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