触れて見えて在りつづけ

まぁ今日はいわゆる「信じるか信じないかはアナタ次第」っていうやつです。
ただの体験談であり、私が信じているものといったところ。

自分でも霊感があるとは思わないけれど、非科学的な体験を子供の時からいくつかしてきた。1番古い体験記憶では小学低学年の頃。
友達が家の庭で鶏を飼っていて、産まれた卵をパン屋さんに売ったりしていた。"ペンギンショルダー"という変だけど語呂のいい名前の雄鶏がいて、その子から落ちた羽で鉛筆を作って遊んだりもした。私は鶏たちの見分けがつくぐらいほぼ毎日のようにその子の家で遊んでいた。
島では行事があれば鶏が潰される。(島の人は潰すと皆言うが要は食べることである)その子の家の鶏もたまに潰されることがあった。
ある日1羽の雌鶏が潰された。名前は"あお"だったと思う。
友達と家の側の道路で、ろくに乗れないのに座りながらまたがってスケボーで遊んでいた時。ふと友達の家のブロック塀に目をやると、先日潰された"あお"が歩いていた。驚いて友達に目を向けると、友達も同じような顔をしてこちらを見ているではないか。2人でまたブロック塀を見た時には、そこには何もいなかった。

「今の見た…?」

「うん、見た」

不思議な体験だったけれど怖いとは思わず、動物でもでるんだね~くらいだった。

あと印象的なのは家で起きたこと。
家は明治くらいの古くて雨漏りもするようなボロ屋なんだけれど、島に襲い来る台風に何度も耐えてきた。今でも崩れないのが不思議なくらい。
子供の時、私は母が子供の時に使っていた机を使っていた。私も兄姉達みたいに背の高い机とタイヤのついたクルクル回る椅子がよかったのに、古くて黒くて低い机で地べたに座って勉強していた。母が気を使ってか柄物のテープを貼ってくれたけれど、全然かわいくなくて、それでは補えない古臭さがにじみでていた。兄妹3人とも部屋は無く、家の東側の広めの廊下を区切って使っていて、デリカシーもくそもない空間だった。だから私の部屋は島を出る15まで廊下の端っこ。
その古い机で宿題をしていた時のこと、ノートに文字を書いていると視界の端である机のそばに足が見えたので姉が来たと思った。かまわずノートに目を向け宿題していると、姉は区切られた向こう側で鼻歌を歌っているじゃないか。
あれ、あの足は姉じゃないな…と気づいた時には何もいなかった。あの時は"何かいた"だけであまり気にしない子供だったけれど、大人になってからあれは座敷わらしの類だと思っている。こんだけ古い家だし何かいてもおかしくないよな~、むしろ守ってくださってるんじゃないか?と考えてしまう。あれ以来会ったことはない。

他にも"小さいおじさん"的なものもが家にでたことはあるが、この説明は文章だとめんどくさいからまた今度にする。

さて、本題はここからなんだ。
監督した映画「ばちらぬん」はお陰様で多くの方に観て頂き、念願の桜坂劇場でも上映が叶った。
初日には会場に溢れんばかりのお客さんが足を運んでくださった。
そこには母の友達も何人か来ていた。
初日を終えた夜、母が
「最後らへんに映るあんたが1人佇んでいる草原のシーンは何処?」
と聞いてきた。
そこは私が島でお気に入りの場所でもあり、何年か前に母が教えてくれた一緒に行った場所だ。


しかし母は
「知らない、覚えがない」
と言う。
どういうこっちゃ。
「母さんが教えてくれたから知っている場所」
だけどそれ以上の説明ができなかった。

母曰く、観にきていた友人が感じやすい人で、島の映るシーンがどこもざわついたけど、最後の草原のシーンが1番強く感じて鳥肌がブワァァっとたったらしい。わからないけど悪いものでは無いと思うから、島に帰ったらお礼に挨拶しにいきなさいとのことだった。
それを聞いて鳥肌がたった。
というのも、卒制として撮られた映画「ばちらぬん」はなんだかもう奇跡みたいなことの連続だった。最初はメンバーも集まらなかったし、企画は一度ゼロになって組解散寸前まで追い詰められた。それらを乗り越えてきて、撮影中はスケジュールを天気に狂わされることはなかったし、担当の先生に「この組はついてるね~」なんて冗談交じりに言われたりもした。そして大学の卒展で学長賞、ぴあでグランプリ、桜坂劇場上映…。
映画のカタチとしては未熟なこの作品が、ここまでこれたことは関わってくださった皆さんの力に加えて、この島の土地やご先祖さまが見守ってくださっているのだと感じたし、私自身そう信じたい。

それからしばらくして今、私は島に帰ってきている。気になるあの場所へは難なく再び訪れることができた。そこでGoogleマップで位置を確認し、その場所を島の地名や番地が細かく書かれた本で調べた。この草原自体に名前は無かったものの、驚くことが判明した。
この草原の道を挟んで真後ろの小さな森に御嶽があったのだ。
母の友人がいってたのは完全にこれじゃないか…。
島には13の御嶽がある。その1つだ。
私はその場所の全てを知らないので、そこに御嶽がある事は分からなかった。
本で調べたあと、草原と真後ろの森の間の道を、入り口はどこだ?と目を凝らしながら車をゆっくり走らせていると、人が1人中腰で通れるくらいの空間を見つけた。ここだ。
いつもは気にせず通っていた道に面している、知らないと気づかないような御嶽の入り口。
少し緊張しながら入り口の茂みをくぐり抜けると、空気が変わった。
入り口から奥の香炉がある場所へ向けて道ができている。木々生い茂る道はうす暗いが、香炉がある所は近くの木々が倒れているおかげか、光が差し込みより一層神秘的に見える。
奥まで進むと、香炉がある石垣に囲まれた空間があり、私はその手前で立ち止まり目を閉じて手を合わせる。
できる限りの与那国語で感謝の意を伝えて目を開けた瞬間…
後ろの道から2羽の鳥が飛んできて、香炉の奥の木に止まって鳴いた。
あなたでしたか。
髪の毛までたちそうな鳥肌がたつ。
だけど、子供の時とおなじだ。怖い気はしない。
私は一礼してその御嶽をあとにした。

御嶽の入り口みたいに、知らなければ私にとってその入り口は無かったも同然だったように、鶏のあの子も、家の座敷わらしも、あの時出会ったから私にとっては存在している。これを読んだ人に信じてもらえなくても。

存在したいから、俳優や監督として表現をしていたい。私が映画をやるきっかけになった不登校時に思ったこと。死や無が怖くて母に泣きついた小学生の時から大人になった今も寂しがりなのは変わってないんだろうな。問いはつづくよどこまでも。

沖縄の人は先祖崇拝が強く、また、その土地には御嶽が多く存在する。島の繁栄や、航海安全、五穀豊穣、それぞれの神様に感謝を述べ願い続けてきた。(そこんとこの話を掘り下げていくとまた別の話題が広がりはじめてしまう)
人々の祈りは欲望、想い。
なんとも人間は身勝手だ。
宗教的な話はおいといて、神様は自ら存在しているのか、私たちが存在させているのか、なんて考えたらきりもないし、答えは1つじゃなさそうだ。

今日はそんなお話でした。
おわり。

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