高校時代

知人の子が、高校進学で総合学科を目指しているらしい。
私は高校時代、当時都内で唯一だった総合学科へ通っていた。まだ出来て4年目の学校だった。

進学を考えたとき、中学と同じような3年間がまた続くのであれば意味がない、つまらないと思った。
中学は荒れていて、真面目に頑張る人は肩身が狭く、適当にやる気なさそうにしてるのが良しとされる環境。部活の無い日に、ただやりたかったから練習に誘ったら、何いい子ぶってんの?と言われる世界だった。

総合学科というものがあると知り、片道一時間のその学校へ希望を抱き受験した。そこ以外は考えられなかったので、他は受けない、と当時私は言ったらしい。私の学力より少し上だったので母は心配し説得されてもう一つ受けた。結果としては希望の総合学科へ進むことができた。

まだ出来て4年目の学校に集まったのは、新しい場所に飛び込んでいく気概のある人たちだった。みんなやる気があって、頑張るのが当たり前だった。部活の朝練を自主的にやってる人達が沢山いた。この学校に赴任してきた先生も、訳もなく反抗する生徒もおらずみんな落ち着いていることに感激していた。
イジメもなかった。いろんな個性的な人がいたし、合う合わないはあったと思うけど、いじめるような人間は居なかった。みんな個人を認める大人だった。

その高校は、チャイムがなく、上履きがなく、学食があって、カリキュラムを自分で組む。2年生からはほぼクラスに居なくて皆自分のスケジュールで動いていた。大学のような感じだ。

カリキュラム、時間割を自分で考える訳だけど、大学進学を考えると結局は受験に必要な科目を取らなきゃいけない。悩む私に、小学校教師の母は言った。せっかくそういう高校に行ったんだから、やりたい事をやればいいんじゃない?

私はその言葉で吹っ切れて、やりたい授業を選んだ。芸術文化系列で演奏法や音楽理論など、音楽を中心に。外国語はスペイン語、地学Bも受験には全く関係ないけどやりたいから選んだ。とにかく興味のある事、好きな事をやった。
一眼レフを持って下町を撮って歩いたり、ピンホールカメラを作って校内を撮ったりした映像の授業は最高だった。今もその光景を思い出す。(残念ながら映像の授業はもう無いらしい。)どれも私の人生にとって大切な経験になった。

社会に出て思うのは、あの出来たばかりの総合学科の3年間は特別だった、ということ。どこへ行ってもその場所場所で、良くも悪くも多種多様な人が集まっている。新しい事に挑戦したい人が集う場は、居心地が良かった。都内にも総合学科が増えた今は、雰囲気も変わったかもしれない。あの時にしかない空間だったかもしれない。

総合学科に行ってやることを自分で選びたい、という受験生。わたしも、自分で選びたい、といろいろ選んできた。自分で選んだ場所なら迷いはない。
がんばれ受験生!

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