同級生が芸能人になったとき。

私が中学1年生のとき、クラスメイトの一人がある有名な芸能事務所に入った。まだ1学期の頃だった。

彼は明るくひょうきんな男子で、思い浮かぶ顔はニコニコ笑っている。私はそんなに話したことなかったけど、芸能事務所に入ったことはそれとなく耳に入ってきた。
夏休み明けには、合宿に行ってきた事を彼が教室で話していた。その時間は皆それぞれ友達と話していたり自由に過ごしていたんだけど、一旦自分達のお喋りをやめて、周りの皆んながその話に聞き耳を立てていた。彼もそれを分かった上で喋っていたように思う。
自分達の知らない芸能界、その合宿の話に皆興味津々だった。そのとき、とんでもない話がさらっと出てきて、驚いた。皆固まっていたように思う。
その事が今、やっと世間で問題になっているが、今はその話は書かない。

その後の彼は、あれよあれよという間に雑誌に出たり、ドラマに出たりしはじめた。
他の学年も皆知るところとなり、仕事が忙しくなった彼は学校を休む日が増えた。
たまに来ると、違うクラスや上級生の女子たちが集まって大騒ぎ。彼が学校に来るたび、その騒ぎが大きくなっていった。
私も部活の先輩に、Nくんと同じクラスなんだよね!?と聞かれたりした。
そのときうっかり、一緒にプリクラを撮ったことがある、と話してしまった。
クラスではほとんど話さないのに、プリクラを撮ったことがあったのだ。

それはまだNくんが芸能事務所に入る前、
私は女の子の友達二人で町に遊びに行っていた。
そこでクラスの男子3人組に出会った。そこにNくんも居たんだけど、Nくんともう1人はほぼ話した事がなく、そのうちの1人だけ学校でよく話す男子が居た。余談だけど私はそのよく話す男子が当時気になっていた。
詳しいことは覚えてないけど、そこでプリクラを撮ろうということになった。確かプリクラの機械が近くにあったんだと思う。プリクラだけ撮って、そのあと一緒に遊んだりもせず別れたと思う。

その程度の事なのにうっかり先輩に話してしまい、すると当然そのプリクラが欲しい!となった。
その頃のプリクラのシールの形は全部同じサイズで、横長四角のみだった。決まったフレームがいくつかあったくらいだと思う。5人で分けたので少ない枚数しか持ってなかったけど、2人の先輩にあげることになった。

さらに先輩は、サインをもらってきてほしいと言った。
元々Nくんとは話す方ではなかったし、明るく元気だった彼は、その頃冷めたような笑わない人になっており、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
先輩に、そんなに話す方ではないし最近学校に来てないからもらえるかどうか、、と言ったけれど、どうしても!とお願いされてしまった。中学の頃の先輩はすごく年上に感じて、お願いは断れなかった。

久々に学校にやってきたNくんは、やはり笑わず不機嫌そうで、話しかけづらい。
でも、頼まれたので、サインをもらえないか聞いた。
彼は不機嫌そうなまま、ノートの真ん中に平仮名で名前を縦にサラサラっと書いた。それはサイン的な書き方ではなく、ただ適当に書いたようなものだった。
私は妙に気を使いまくり、ほんとごめんね!ありがとう!などと言いながら受け取った。
その日も彼は途中で早退していった。

今思うとNくんは学校にたまに来ても早退、休み時間は違うクラスや学年の女子が遠巻きに黄色い声をあげている、という状態。
男子はどうだったのか、、若干荒れてたので上の学年の先輩が黙っていなかったかもしれないし、居場所が無くなっていった事は知らなかった。
そして今やっと白日の下になっている、芸能事務所社長の影響が多大にあったと思う。
私はただ、最初は明るくてひょうきんだったのに、笑わないしいつも不機嫌そうになり、変わったなぁと思っていた。
その頃彼がどういう状況に置かれていたか、その時は分からなかった。
私がサインをお願いした事も、彼にとってはストレスだったろうと思う。

当時の私達には、クラスメイトが雑誌に載ったりテレビドラマに出るなんて、一大事だった。
私も友達とその話をしたり、載っている雑誌を買ってみたりした。
私は当時、憧れの芸能人はDJ赤坂さんとマルシア(どちらも、夜もヒッパレ!という生演奏の音楽番組に出ていた)という子供だったので、正直そのアイドル芸能事務所に興味はなかったけど、教室にいる人が雑誌に載っている、という事は一大事だった。

そんなふうに誰もかれも、Nくんを見る目が変わってしまった。
担任の先生はNくんがほとんど学校に来られない事を危惧して、芸能関係の人が多く通う中学を進め、彼は中学2年になる前に転校していった。

転校してしまうとそのフィーバーは収まった。
2年生になると私たちの学年は荒れていき、大変な中学生時代を過ごした。先生の車がへこまされたり、金属パイプで不良が不良を殴った事件や、廊下水浸し、暴れる生徒を止めた先生の骨が折れたり、、と思い出す事を書き出してみると大変恐ろしいことになっているが、でもそれをやっていたのは一部の人達なので、半分以上の生徒は大変だなぁといった感じで見ていたと思う。
私はというと、中学時代の親友は学年で成績1位か2位という人だった。その子とずっと一緒に居たけど、私自身の勉強はそこそこで、友達らと沢山くだらない事や話をして過ごした。
不良たちとそんなに関わることなく来たけど、3年で学級委員長をやったときに、当時学年の女子の中で1、2の不良となっていた子と対決したり、今となっては色々と青春だったなと思う。

その不良たちも家庭や色々な要因で荒れていったのだろうし、Nくんが笑わず不機嫌になっていったのも色々な要因があった。その大きな一つは事務所の事、仕事量も問題であったと思うが、学校の私達の態度の変化もあったと思う。

荒れていた不良と呼ばれる人たちも、1年生の時にはあどけなかった。3年で対決した女子も、実は1年の時は家に遊びに行った事があった。その時はまだ不良じゃなかった。のちに知ったのは、彼女は叔父さんと二人暮らしだったらしい。それが不良になったことに関わっているのかは分からないが。

今大人になって思うのは、繊細な思春期の子供を大人が傷つけてはいけないし、大人達は子供達を守らなきゃいけない。
綺麗事ではなく、それが普通でなければいけない。
その為に今、かつての同級生は動き出している。
私はそれを応援したい。

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