『常識を疑う』とはどういうことか

常識を疑うとは、日常に当たり前に存在しているものや提示されたものに対して、「なぜ?」「どうして?」と疑いを持ち、その解を思索や探索により解き明かす、螺旋状の思考的営みである。

つまり、一度のなぜでその深淵、いわゆる納得感に到達することはなく、出た問いに対して、納得するまで「なぜ?」「どうして?」をぶつけてみるのだ。

はじめは手直なものでいい。「空」でも「いじめっ子」でも「チョコレート」でもなんでもいい。まず、「どうして空は青いの?」という問いを全力で探求してみるがいい。

ある程度慣れたら、物事全部に問い投げかけるわけにもいかないので、自分が特に関心が高いものに絞って問いを問うてみるのが妥当だろう。

それでも、言葉についてはいつも敏感に問うてみる必要がある。

「好き」とは何か。「かわいい」とはどういうことか。「屁理屈」とは何か。「言い訳」とは何か。「天才」とは何か。「やさしい」とはどういうことか。「包容力」とは何か。

問うてみるがいい。

しかし、これは問いの一種に過ぎない。

いろいろなものの違和感を見つけ出せるようになると、もっとたくさんの不思議が見えてくる。

それはまた別のお話。