コンテンツの消費と持続性

奥深いコンテンツほど、噛んでも噛んでも味がする。
他の人には味が感じられなくても、自分がまだまだ味わえると感じられるならいくらでも楽しめる。
10代の頃に夢中になった音楽を、40代50代でも楽しめるのは幸せなこと。

流行は食い潰される。じっくり消費していくことで、時の熟成も合間っていい味を出しそうなコンテンツはたくさんあるが、ひとたび流行の土俵に乗ってしまうと、我先にとハイエナたちに骨の髄まで食い潰される。そしてしばらくすると、そのコンテンツは跡形もなく忘れ去られる。

ハイエナたちに紛れてその肉片を自分のためにとっておいた人が、もう他の誰もが見向きをしなくなったそれを、自分のためだけに後生大事に味わうとか味わわないとか。

食い潰されるコンテンツも必要だが、後生大事に愛されるコンテンツも大切だ。
作って出してはい終わり。作って出して、ゆっくり消費されて終わり。作って出して、秘伝のタレ的に継ぎ足しをしながらコンテンツを継続させるのか。

供給スピードと消費スピードの加減。
目に見えないけれども、誰かに見られたコンテンツは確実に消費される。

早すぎる消費は時の熟成の恩恵は得られない。
消費されないコンテンツもまた熟成の恩恵は得られない。

単純でありつつも、単純ではないのがむつかしい。