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【読み物】沈黙義塾-秘すれば花-

都内某所、区民ホールの3階、とあるセミナールームではこの日大きな期待感と少しの緊張感が渦を巻いていた。午前10時20分、既にここには10名弱の男女が集まっていた。中央に置かれた石油ストーブを囲むように並べられたテーブルには、なぜか『週刊新潮』が一人一部ずつ置かれている。無言で座る彼らはそれを手に取ってみたり、スマートフォンを操作したりしながら、それぞれセミナー開始時刻を待っていた。

席に座る。隣には丸眼鏡の中年が座っている。

「あの、あなたもこのチラシを見て?」

「そうなんです、このチラシにある参加費120円(お茶代含む)って、お茶をそれぞれ持参すれば絶対無料で済みましたよね。」

「まったくまったく、しかし寒いですね。ストーブ、もう少し強くならないもんですかね」

二、三、なんの起伏もない会話をする。社会人たるもの、このように意味を為さない会話の一つ二つできなくてはならない。言わば毛繕いである。しかし、お互いに少し緊張しているのだろう、交わす言葉の中には別に言わなくても良いことが若干混じる。

会話が途切れ少し持て余して週刊誌に手を伸ばそうとしたとき、セミナールームに突如SEAMOのルパン・ザ・ファイヤーが鳴り響く。音楽に合わせてセミナールームに入ってくる男。そうとも、彼こそが本セミナーの講師、甘楽アンダープレッシャー氏(以下UP氏)その人である!

「おいすー!みんな、圧かかってるー!?」

左肩に担いだラジカセから、音楽は彼のもとから鳴り響いていることが認められる。手持ち無沙汰になっている右手でカイゼル髭を撫でながら入室してきたUP氏。沈黙とは程遠い出で立ちの彼ではあるが、それは仮初の姿。界隈では知らない人はいない沈黙のスペシャリストである!23区のとっぱずれのとっぱずれにあるこの区民ホールの一画で、しかも120円(お茶代含む)でUP氏の講義が聞けるというのだから、正直涙がちょちょぎれるぜ!

「今日は来てくれてどうもちゃんね。愛してるぜ東京!あんちゃん嬉しいよ。今日はね、沈黙義塾ということでやっていきますけども。今日来てくれたプレッシャーズのみんなマジありがとね。当然みんなはこのセミナーの主旨については理解してくれてると思うんだけど、まずはこのセミナーに参加しようと思ったきっかけについて聞いてもいいかな?そこの君、プレッシャーしちゃって!」

先ほどまでカイゼル髭を撫でていた右手で先ほどまで会話をしていた中年男性に指を指した。プレッシャーとは彼の中では「意見を述べること」なのだろうとなんとなく分かった。やおら中年男性は口を開く。

「このあたりに暮らす者です。以前から私何かと一言多いと各方面から指摘を受けることがありまして。今朝も妻が出してくれた朝食に一言感想を申しましたらそのように指摘を受けまして、でも私には妻の味付けがこのごろ少し塩辛いのをどうにかしたく…」

「そこまでは聞いてねえ!オーケー!」

ばつが悪そうに黙り込む中年。朝食のくだりは正直私も要らないと思っていた。会場に集められた全員がそう思っていたようで、参加のきっかけを滔々と語りかねない中年男性の言を過不足なく制したUP氏に早くも心をガッチリ掴まれたようだった。その瞬間会場に熱がこもるのを肌で感じた。ああ、私たちは何も間違っちゃいなかった。UP氏にお目にかかれて本当によかった。そうさ、いつも一言余計と言われてきたおれたちは、きっとこのセミナーで「沈黙」の何たるかを身に着けてみせよう。そして、そしてきっと、おれたちは「世の中の事象に対していちいちダルい論理を展開しない大人」になってみせるんだ!

そんな導入もそこそこに、UP氏は壇上に置かれたサンパチマイク越しにゆっくりと口火を切る。

「じゃあね、みんなの手元に週刊誌置かせてもらったんだけど、みんな読んだかな?そこのお嬢さん、率直に読んでみてどうだった?」

「はい、芸能人の浮名が書かれているのを見てしんどくなってしまいました」

「圧かかってるねー!この頃は週刊誌のゴシップ記事が増えて嫌になっちゃうよね。あんちゃんもX(旧Twitter)まで見ちゃうからこの頃しんどいよ。でも読んじゃうよねー!クダラナイこととは分かっていても記事についたコメント一つ一つ追いかけては傷ついてしまうよねー!そこのお前はどうだ?」

言い回しが若干ELTの感じがするのが気になったが、私をサンパチマイクごしに指さすUP氏に答える。

「ええ、それなんですが、もちろん記事を読んだうえでなんですが、ついX(旧以下略)でコメントをしてしまいまして…」

「いたー!ここにいたよー!プレス&プレスだよー!でなんて書いたの!」

「はい、『くだらない、こんなことまで下世話なことまでいちいち囃し立てて記者の品格を疑う』と…」

「でもお前もそのくだらない記事にアクセスして、わざわざコメントまで書いちゃってるから同じ穴の貉だよね」

…びっくりした。会場が温まってきた勢いに任せて率直に彼の言うところのプレッシャーをしてみたら突然グウの音も出ない正論で殴ってくるじゃん。黙り込んでしまった私に構わずUP氏は続ける。

「でも、そんなお前もおれは嫌いじゃない、むしろ好きなのさ。いますぐ両腕で思い切りハグをしてやりたいよ。自分でも気が付いているんだろう?下世話な記事を馬鹿にしている一方で、その記事を読んでしまった自分がいる。そんな自分が少し嫌で、だからこのセミナーに参加した。違うかい?」

「おっしゃる通り、おっしゃる通りです」

「なぜこんなにも醜い記事が書かれた週刊誌が売れるのか、それは読む奴がいるからだ。人の浮名や下世話な話を見聞きすると、うんざりする一方で心のどこかで高揚するものがあるだろう?思わず一言物申したくなるだろう?それがニーズというやつなんだ。知る必要がないところまで知ると、今度はより強い刺激を求めて所在不明の言説にも反応してしまうだろう。人間の好奇心っていうのは業が深いよな。そして最終的に断片的に知りえたそれらを繋げて、いかにも自分がたどり着いた真理かのように根も葉もない話に仕立てて発信してしまうだろう?すると『事実』と『憶測』が曖昧になる。人間の好奇心と、それから承認欲求が合わさることでたいへんなモンスターが誕生してしまうんだ。わかるか?」

その時、UP氏がご自慢のカイゼル髭から一本だけやけに長く伸びていた宝毛を引き抜いて、隣の中年男性に向けた。

「お前、お前はさっき朝食の味付けがこの頃塩辛いと言っていたな。そしてそれを指摘した。お前はその時何を考えていたんだ?」

「ええ、健康診断の数値が思わしくないことを妻にボヤいていた矢先だったので、私の話を聞いていなかったのか、あるいは分かっていて敢えてやっていたのか、塩辛さの中の悪意をですね、探りたかったんだと思います」

「1から10まで言うじゃんお前は!聞いてはみたもののやっぱそこまでの興味はなかったわ。でもその話の中にも事実と憶測が入り混じってるよね。どうせ上記のようなことをさも事実かのようにX(旧)に書き綴ってるんだろ。書き綴ってどうだったよ?」

「2いいねでした」

「しょうがねえ野郎だな消せ消せ今すぐ消せ!ツイ消ししろ!どうせお前バレンタインデーの時もチョコひとつも貰えなかったからって『バレンタインデーとは企業のマーケティング戦略であり…』とか言っちゃってたタイプだろう。敢えて言葉を選ばず言うとうるせ〜んだよ。ところで今やツイートとは言わなくなったから、ツイ消しという言葉は厳密には正しくないよね。でもそんな一言余計なプレッシャーをするお前もおれは力強く抱きしめて離したくない。おれはお前たちの業をひとつひとつ肯定してやりたいのさ。何も喋るなとは言わないよ。たとえそれがダルい論理でもお前たちが主張ができるのはご先祖様が勝ち取った自由だからな。ただおれはこのセミナーを受講した人たちに、事象に対して何か物申したくなったとき、『沈黙する』という選択肢を持っておいてほしいんだ。さっきも言った通り、人間ってのは業の深い生き物だ。誰しもどうしようもない人間だ。だから、そういう事象に出会ったとき、『しょうがないわねえ』と受け入れる度量を持っていてほしいのさ。なんでもかんでも嚙みつくのはしんどいし何より傍からみたら鬱陶しかったりするだろう。ほら、親戚の中でもベラベラなんでも喋るおじさんよりも、普段無口だけどここぞというときにクリティカルな解決策をボソっと言うお兄ちゃんのほうが頼もしかったりするだろう。おれはいつもそうありたいと思っている。だからおれはちょいちょい自分のことあんちゃんって呼ぶのさ」

あんちゃんってアンダープレッシャーの略じゃないのかよと物申したくなったが、私は沈黙を選択した。なぜならここは沈黙義塾だから。

…それからUP氏の熱弁は続き、「秘すれば花」という言葉があってとかなんとか能書きを垂れているのを時折メモを取りながら、隣の中年のノートに「沈黙」「Twitter消す」とだけ書かれているのを見て、お前それ後で見返して分かるのかよ、絶対学生時代ダメなノートの取り方してた奴の書きぶりじゃんなどと思っているうち、ふと、UP氏が少し声のトーンを落として言う。

「ところでなんだけどおれはこういう稼業をしているからみんなにこうやって沈黙の何たるかを説いているわけだけど、それも突き詰めて考えるとおれの好奇心と承認欲求の発露なわけで…つまりおれもまたどうしようもない人間なんだ。そう考えたとき、おれはたまらなく悲しくなってしまうんだ。沈黙を説くおれはどっこい雄弁で、ふだんは電車の中で痴漢に間違われないようにじっとしているような人間なんだ。助けてくれませんか?」

この人間味である!沈黙を雄弁に語り、時には歯に衣着せぬものいいもまた魅力であるのだが、その内にある自らの矛盾について考えずにはいられない。UP氏の真髄とはつまり内省なのである!今までのおれたちは、つい批判をしてしまったり、筆を折れなどと物申したくなってしまっていただろう。しかし、おれたちはUP氏の熱い信念を受け止めた。つまり、UP氏の内省に、しっかりと返す刀があるのだ!

しょうがないわねえ。

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