桂歌丸、声の皺。

晩年の立川談志もそうだった。今年六月の柳家小三治もそうだった。本調子でないときにこそ噺家の本質は浮き彫りになる。桂歌丸。十一月の入院以後、声が回復しないとまくらで断りを入れた。そうして始まった「小間物屋政談」。淀みなく空間を描写=体現する、いつもの歌丸はいない。声が、物語の四隅に届かない。
語りの調子を変えてはいない。だが、届かないものを無理に届けようとするのではなく、対話する者同士にぐっと親密さを与え、小さな宇宙で観客を惹き付けた。面としてのなめらかさが身上の落語家は、ここであえて切れ切れの点灯に情感を託し、暗がりのなかだからまさぐることのできる細やかな関係性をかたちづくった。
中盤では言い直しが何度かあった。だが、終わり間際には今宵のみたちあらわれる輝きが見えた。
誰もが抗うことのできない声の皺。それは、深い傷にもなるし、芸の陰影にもなる。
とても重要な瞬間を目撃した。
国立演芸場。

2013.12.22

#桂歌丸

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