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言葉にならない、笑顔を見せてくれよ

『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』

くるり

 前々作『ワルツを踊れ』は、選ばれし者の恍惚と不安が共にあった。だがそれゆえに震えがある種の高揚に達することにもつながった。ハッピーなだけの表現などあるわけがない。多幸感がやがてもたらすものは、大いなる欠落感に他ならない。

 取り繕うことの不誠実さや、隠蔽することの戦略性について、不器用なまでに敏感な彼らは前作『魂のゆくえ』で、あくまでも自分たちに正直なまま闇をまさぐった。地味というより暗いそのありようは、それが傷づいたわたくしへの愛撫ですらなかったため、決定的に痛々しかった。

 くるりの最新作『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』はこの二作とは異なっている。彼らが何を通過したかは定かではない。だが聴き手のひとりとして思うのは、自己嫌悪ならぬ自虐にひとつの解釈を見出したということだ。自我に極力冷静に接したとき、自虐はひとつの方法たりえる。それはレンズをかえるということだ。

 音楽性が大きく変わったわけではない。変化が多くの場合、その場からの逃避に過ぎないことを既に知ってしまっている音楽家は振り切ることではなく、希望でもなく絶望でもない場所に身を置くことを選んだ。明瞭なグラデーションで、真ん中を白日の下にさらしている。

 反米ソングと誤解されることを覚悟で、これまでの俺らに別れを告げる「さよならアメリカ」に始まり、真剣に力を抜くこと、心こめて休むことの必然を適温で映し出す「温泉」を通過し、思念に思念を積み重ねて現実を軽やかに突破しようとする「魔法のじゅうたん」に飛び乗り、命を呪文のように召還する「麦茶」で締めくくる。

 ひとつの悟りが到達するのが、次の奈落の淵だとしても一向に構わない。繰り返される落差そのものを波動として受け取る準備が、このアルバムにはある。そう、笑顔は言葉にならない。けれども、くるりは歌うのだ。

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