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才能と人格は共存させなくてもいいんじゃないか。映画『スティーブ・ジョブズ』を観て

おおくのひとがジョブズに惹かれるのはなぜだろう
それはわたしたちのだれもがジョブズ的な要素をかかえながら
けれどもジョブズのようには生きられないからではないだろうか
そしてそれは
ジョブズには才能があって
わたしたちにはない
などという単純なはなしではない
ジョブズは特別で
わたしたちは特別ではない
なんていうヒエラルキーでもない

ジョブズは頑固者の美学に依存することなく
その都度その都度拒絶しつづけることができた
それは哲学や人生スタイルではなく
生命体としてのありように忠実だっただけである

あるときから
正しいか正しくないかが
物事の基準になってしまった
その正しさの拠りどころは
煎じ詰めれば
多数決の世界でしかなく
みんながそう言ってるから
にすぎない
いわゆる世間というやつだ
ジョブズは人間的に正しくなかった
という認識が一般的だし
この映画もその認識から
大きく逸脱はしていない
ジョブズの旧友ウォズのことばは印象的だ
才能と人格は共存できると信じている
脚本家の祈りも
観客の願いも
ここに集約されている
すばらしい場面だ

だが実は
才能と人格を共存させようとしたことによって
とてつもなく大きなものが失われているのではないか
古今東西
失われつづけているのではないか
そしてわたしたちもいままさに
なにかを失っているのではないか
人類はそれを繰り返してきたのではないか

そうしなかったジョブズは言う
嫌われたくはないが嫌われてしまう

わたしたちには
拒絶の感覚と
拒絶の意志がある
だが
ジョブズのように生きることを躊躇している
その結果
なにかを失ってしまったことを自覚しているからこそ
ジョブズに不思議な憧憬をいだいているのかもしれない

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