福士蒼汰 蒼い伝言

彼本人の輪郭は決して細くはないし、むしろ、そのさわやかさも含めて「骨太」と形容してもよいほどだが、スクリーンに映る彼のすがたは、キャラクターの陰陽を問わず、なぜか淡く儚い。

人間、福士蒼汰には、安直にワイルドとは言わせない品のよさがあるが、そうしたソフィストケイトされた肌ざわりも、彼が「だれか」を演じるときに浮上することはない。わたしは、これが俳優、福士蒼汰のデリカシーだと感じている。

映像を通過することで存在感が増し、実際より「大きく」見えるという芸能者はたくさんいる。だが、彼は違う。

おそらく彼は意識的に自分の色彩を脱色している。あの、せつなくなるほどの人物グラデーションは、彼の、彼だけの技術によってかたちづくられたものだ。その繊細さに魅せられる。

色をおとす。洗いざらしのデニムのように素朴なテクスチャが表現には宿る。だから、わたしたちは、そこに映し出された心模様に親近感をおぼえる。くるまれるような親密さ。

それは伝言だ。

なだらかなブルーのメッセージカードに、彼の笑顔はひっそり刻印されている。

福士蒼汰はきょうも人知れず「それ」を投函している。

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