塩田明彦『映画術』について。

『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』
塩田明彦=著 イースト・プレス
ISBN978-4-7816-1100-6

 映画美学校という「専門学校」でおこなわれた連続講義の採録である。「演技と演出の出会う場所から映画を再考する」ーー著者はあとがきで本書の視点を述べる。
 映画をめぐる多くの書物の「伝わりづらさ」は、読者がある映画を観ているという前提に立っているからである。その時点で、映画を批評する書物は「専門書」と化し、閉じてしまう。
 本書は、いつかの映画への読解を試みることで、映画を観るということがどういうことなのかを実証してみせる。タイトルにもあるように、映画がひとの「心をつかむ」具体的な根拠を、明るみにしていく。成瀬巳喜男や溝口健二、ヒッチコックにブレッソン、小津安二郎、増村保造、イーストウッド、ゴダール、そしてカサヴェテス、神代辰巳ら、決定的な固有名詞を持つ監督たちの作品のシーンが語られていくが、それらを観たことがなくても一向に構わない、そんな作りになっている。むしろ、それらの映画に、いま、初めて遭遇する、その愉悦のために本書は捧げられている。そこが、映画をめぐるどのような書物よりも新しい。
 「いま」とは「これから」への供物ではない。「いま」は「いま」だけのものであり、現在進行形で「出会いつづける」しかないのだという意志が、臨場感あふれる口語体ともあいまって、読む者の精神にふれてくる。「それを観客が気付いてくれるっていう保証は、どこにもないんですよ。でも無意識に感じ取るかもしれない。それが映画なんだーーそのことに成瀬監督は賭けているんだと思います」。ある演出についてそう語る著者もまた間違いなく「無意識」を信じている。たとえ気付かれなくてもいい。だが無意識の種は蒔かれつづけなくてはいけない。そしてそれは深読みへの誘導ではなく、唯物なのだ、表層なのだ、あくまでも「目に見えるもの」なのだという確信が、ここには列挙されている。さらに無意識についてはこうも言う。「いずれにせよ、彼の内面を覗かなくても、彼の考えてることが外側からおよそ見えてくることが大事なんです。「外側から見る」という行為を積み重ねて、無意識の厚みを作っていくことで、やがて登場人物が捕まえられるようになるんだろう。そう思います」。わたしたちは「見る」ことによって無意識の厚みを作り上げることができる。なのに、それがなされていない。「見る」ことの放棄への警鐘をこう鳴らす。「ところが、人を外から見るという作業を怠って、人物の気持ちばかり考えて演じると、結局のところ、どんな役にも自分の内面を投影するだけになってしまう。あの人もこの人も自分の分身でしかなくなっていって、世界がモノローグ(独白)になってしまうんです」。これはまさに現代を覆う文化をめぐる病の核心を衝くことばであり、わたしたち観客はもう一度「共感」中毒と化した心身を刷新していかなければならない。では、無意識の厚みがもたらすものとはなにか。「映画におけるもっとも重要なエモーションとは、映画を観ている観客の心の中に生じるエモーションに他ならない」ーー与えられるのではなく、生み出さなければならない。映画を観るということは、解釈したり答えを見つけだすことではなく、観客ひとりひとりが「作り直す」、つまり「創造」することに他ならない。監督志望や俳優志望の「学生」ばかりではなく、まだ真の意味で映画に出会ったことのない「観客」を覚醒させるに違いない、真摯にして苛烈な書物が誕生した。

2014年執筆。

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