あの世でもらう批評が本当なのさ

椎名林檎とトータス松本
「目抜き通り」
2017年

 銀座の複合商業施設のテーマ曲だが、コマーシャリズムをはるかに超えた地点できらめている。時代心理を鮮やかにトレースした、2017年を代表する名曲。もし「紅白歌合戦」というメディアにいまも一年を振り返るという意味があるのだとしたら、この歌が歌われなければ何も始まらない。
 「目抜き通り」というのは銀座の比喩でもあるが、椎名林檎によれば「陽の当たる場所」、つまり「晴れ舞台」という想いが託されている。アーティストにしてみれば、メジャーなシーンに躍り出ることをおそれるなという提言に受け取れるだろうし、引き篭もっている人であれば、外に出てきなよという誘いに感じられるかもしれない。
自分が何者かはわからない。つまり、己に自信があるわけじゃない。だが、いや、だからこそ、出るところに出ようじゃないの、と椎名は彼女ならではの語彙で紡ぐ。迷うことと、色めくこととが、等価のものとして歌われる。お天道様の下では、いずれも同じことなのだと。
銀座の歌なのに、大阪の雄、トータス松本を引っ張り出したその粋が、歌を相対化する。トータスの存在は、まさに太陽である。決してぎらぎらなどしていないが、すべての言霊に均等に光を注ぐ大らかな寄り添いがある。
ときに、マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルを思わせもする楽曲の高揚感はけれども、男女のそれではなく、生きとし生けるものすべてに通底する、ミクロな共同体のありようを描きだす。そして、決定的なフレーズが飛びだす。
「あの世でもらう批評が本当なのさ」
生きること。それもまた生命の表現なのだとすれば、季節のはざまで笑っているその一瞬に真実はある。そして、その真実は損得の範疇にはない。人間の煩悩さえ愛おしく思えてくる偉大な俯瞰が存在する曲である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?