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「生命の網の目」の現場と環境をリジェネレイトしていく文明の在り方(気仙沼フィールドワークレポート)

こんにちは!あいだラボに参加させて頂いている永田です。

6月初旬に開催された、気仙沼におけるフィールドワーク(「気仙沼・舞根湾フィールドワーク:環境動態と防災をつなぐ地域の営み - 森と海と人のあいだで -」)に参加しましたので、ごく主観的な感想をここに綴りたいと思います。

フィールドワークの全体像は他の投稿でカバーされるかと思いますが、下記のような現場を見ることができました。

  1. 「森は海の恋人」の年間行事である植樹祭への参加、また植樹された森の視察

  2. 気仙沼・舞根湾における海の生態系調査、また三陸海岸で唯一防潮堤が作らず生態系を再生させようとしている取り組みの視察

  3. 地域の原風景を守るために防潮堤をセットバックした大谷海岸における取組のヒアリング

言葉では中々伝えることが難しいのですが(だからフィールドワークに行って身体を通じて感じるのですが)、最近問題意識を持っている「生命の網の目」や「生態系を回復させる文明」といったキーワードにとてもヒントになる現場を見させて頂きました。


「森は海の恋人」の植林の舞台となっている室根の森

「生命の網の目」の感覚をうなぎの精霊(うなちゃん)から得る

気仙沼の舞根湾における取組は非常に先進的なものであり、通常であれば津波対策として「コンクリ固めの防潮堤」が作られてしまうところを、津波のはけ口を用意しつつ、震災後の地盤沈下で現われた「塩生湿地(エコトーン)」を守りそこで生態系を回復させる為に、川の生き物が住むことができる「フレーム工法」といった技術や、恐らく日本で初めてコンクリートの河川護岸を「あえて」撤去するといったことを実現し、三陸海岸で唯一防潮堤が作られないことを達成した場所です。この取り組みの為に、震災後に分野を超えた研究者がこの地に集まり、手弁当で様々な調査を行いました。

コンクリートによる防潮堤の建設が免れた舞根湾

これだけ書いても現地を訪れていないと何が起きているのか感覚的に掴むことは難しいかと思いますが、重要なのは「森と川と海と陸」のバランスを保つことで、コンクリート固めの防潮堤を作ってしまうと複雑に均衡を保っていた生命のバランスが失われ、植生や生態系に大きな悪影響を与えてしまうのです。

「生命の網の目(Web of life)」は最近良く言及されている概念かと思いますが、複雑に織り合った生物間のバランスを概念的に現わす言葉です。科学的な要素も持ちながら感性的に物事を理解させてくれる好きな言葉なのですが、舞根湾で行われているのはまさにこの「網の目」を再生(regenerate)させる取り組みであると感じました。

舞根湾で上記のような取り組みが実現できた最後の一押しになったのは、この地域に「うなぎ」を取り戻そうというスローガンでした。うなぎというのは不思議な生き物で、フィリピンのマリアナ海峡で生まれた稚魚が日本の方まで北上してきて、川を上りながら最後は「川と海の間」である湿地にたどり着いてそこで育つようです。まさに、海・森・川・陸が分断されない絶妙な状態でないと育てない生き物なのです。
かつてはこの地にうなぎが住んでいたようなのですが、このバランスが崩れてしまいいなくなってしまいました。震災によって期せずして湿地が復活した今、再びこのバランス状態を再生させ、「うなぎを呼び戻そう」というのが感情的な最後の一声になったようです。

舞根湾に生息している生き物たち

現代文明によって生態系が急速に失われていますが、上記のような複雑なバランスが崩れていることが要因の一つです。舞根湾の取り組みを見ながら、今はいないうなぎがそこに精霊のように復活するような気がして、その精霊を「うなちゃん」と名付けざるを得ませんでした。うなちゃんは「生命の網の目」のシンボルなのです。

「あえて」海と湿地を分断するコンクリートの護岸を壊され、その間をさらさらと流れる水を見ながら、「ああこいつが生命の流れなのだな」としみじみと思ったことが余韻のように身体感覚として残っています。

「あえて」護岸を壊し湿地が川と海とつながった様子

生態系の回復と正の相関をもつ文明

私は兎にも角にも「文明」とか「文化」といった言葉が好きで、人が環境や社会、経済といった外部要因の影響を受けながら、どのような暮らしや産業を形作っていくかということにとても興味があります。こういったことを言い訳にしながら、文化観察と名付けて地域特性が如実に出るスナックや立ち飲み屋を回っております。

近代の人間はひたすら環境搾取的(Exploitable)な「文明」を築いてきましたが、では人の文明の発展・均衡が、生態系にとって「正の相関」を持つような文化・インフラ・産業の在り方(=文明)とはどのようなものなのかということに関して最近問題意識があります。

こうした中、「森は海の恋人」で30年以上取り組まれている「海を守るために植樹を行い山を守る」という取り組みは、こうした正の相関が文化的なレベルにまで染みついて運動論になっている事例だと実感しました。

植樹祭の会場

この植樹祭が行われはじめた経緯は、昭和40年代に「海の民」である気仙沼のカキの養殖事業者の方が、海で頻繁に赤潮が発生する様子を目の当たりにしたことがきっかけでした。「海の民」の方々は海への養分を運ぶ大元である山の環境を整えないといけないと悟り、「山の民」である室根町の方々と価値観を共有し、「海を守るために山を守る」という運動を始めました。

「山の民」側である方のお話を聞いていると、広葉樹の植樹を通じて山の環境を守ることが、海の環境を守るだけでなく、室根町のアイデンティティであり農業に欠かせない「地下水」の流れを守ることにも繋がることを、深く実感されていることが良くわかりました。実際、水の流れは植樹を行うことで増えているようです。そして、30年前に植樹をしたという山のエリアに入らせてもらうと、様々な広葉樹が植えられ植生も豊かな、本当に見事な森になっているのです。この光景は、ビビッドなものというより、息の長いずんとした質感の感動をもたらしました。

植生が戻った室根の森

こうした体験を通じて、このエリアでは、人の生活や産業が生態系と「正の相関」を持っていて、そのフィードバックループが確かに回っているなあとしみじみ思いました。表層的な取り組みではなく、文化や価値観といったレベルにまで浸透していて、しなやかな取り組みであると感じました。

以前勤めていた企業の新人研修で「住友の歴史から」という本を読むのですが、その中に別子銅山の事例があります。銅山として酷に稼働させていた山を、住友家が植樹で蘇らさせて、今はその銅山が産業遺産になっています。環境を搾取していたexploitableな文明から、次の文明に移行していくことを象徴的に現わしているような気もして、室根の山に入りながらそんなことをぼんやりと思いました。

局所の波が大きなうねりとなっていくこと

フィールドをご案内頂いていた田中先生が、「いのちの循環「森里海」の現場から」という本を最近出版されました。その1事例として舞根の現場も出てくるのですが、この本には同じように命の循環を取り戻す取り組みが72も紹介されています。いずれも局所の取り組みであるのですが、こうした局所の波が有機的につながり、大きなうねりとなっていく感覚があります。どうしたらこの「つながり」が創出され、ロングタームで持続的な運動を生み出すことができるか、深海にすっと潜るように、深めていきたいと思いました。

【執筆者:永田拓人】
慶應義塾大学経済学部卒業。欧州IESE経営大学院MBA。福澤諭吉文明塾修了。新卒で住友商事入社。空港民営化・PPP事業、米国のエネルギーインフラ事業を担当。戦略コンサル及び企業投資を行う会社を経て、独立。新しい時代の社会的共通資本の創出をテーマに、エネルギーインフラの分散化/脱炭素化や、都市における精神性を取り戻す「精神性インフラ」の分野で活動。鎌倉在住


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