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#24-258 本と文

最近、Twitterをあまり見なくなった。
開くのは開くけれど、1分が経つ前に閉じるようにしている。そうしなければ、ずっと見てしまうから。どのソーシャルメディアも、閲覧する場合はそうしている。投稿しているのは、Instagramだけ。

今日、Twitterを開くと、マエバシ BOOK FESのための本を、永田さんが車で回収している投稿があった。よくみると、吉備サービスエリアからの投稿だった。岡山だ。

昨日気づいていれば、今日行っていたかもしれない。ただ、高速道路はよくわからない。吉備サービスエリアがどこにあるのかもいまいちわかっていない。というか、高速道路を走ることが恐ろしい。

九州から東へ向かっているのだから、倉敷からも東にいかなければならない。吉備サービスエリアは、倉敷よりも東にあるのだろうか。高速道路自体あまり走ることがないので全くわからない。倉敷よりも東にないのであれば、まず岡山まで行って、そこから高速道路に入る必要がある。岡山のインターチェンジはどこにあるのだろう。

なんてことを考えなくても調べればすぐにわかること。そんなことより、お渡しできる本がないことの方が重要である。大量の本を処分したばかりなのだ。マエバシBOOK FESが開催されることを知る前のことだった。タイミングの悪さよ。

前回FESがあったとき、次の開催のときには行きたいと考えていた。残念ながら、今回は行くことができない。前橋にどうやって行けばいいのかもわからない。なんだかとても遠そう。東京からも近くはないと聞いた。こんなときに、「よし行くか!」と車を走らせる人間に、わたしはなりたい。

今おうちにある少しの本を、送ろうとおもっている。本当に少ししかないけれど、少しでも参加した気分になりたい。クラウドファンディングもしているようだ。本が2冊送られてくる、というなんだかわくわくするコースもある。どんな2冊を選んでくれるのだろう。
わたしが送る本がどんな方に届くか、ということもわくわくする。messageをそっと挟んで送ってみよう。ご縁をたのしみにしている。

読んでいない本は、そのままそこにある。あまり入ることのない部屋の棚に、相変わらず行儀よく並んでいる。
先日受け取った2冊のZINEは読み終えた。こんなふうに、身近な誰かが書いた本を読めるのは、なんだかうれしいことだった。noteを読んでいるけれど、それとはまた違う。
noteから生まれた本も購入している。noteを全部読んでいるので、実はまだ本を読んでいない。今日、ふと思い出して読みたくなった。

わたしの人生に於いて、これほど本を読むことになろうとは考えもしなかった。こんなにも文章を書くことになるとも。

blogを始めたのは、2006年の12月10日だった。今日、最初の投稿記事を読んでみた。半角カタカナがちょっと苛ついた。「ゎ」を使っているひとを見て、あまり賢くなさそうだと感じていたけれど、半角カタカナも同じくであった。いつからか使わなくなったのだな。とはいえ、わたしは賢くはない。

記事を読んで、やはり根本的に変わってないんだな、と感じた。
約18年。
成長していないらしい。
買った服の写真が載ってて、その殆どが今も着ている服だった。
約18年。
体型維持しているようだ。

約18年前のわたし

いつかの記事の締めくくりに、だいすきな本の一節があった。

『あなたの 心の 真ん中に いたいよ』

久しぶりに、読もう。

マエバシ BOOK FESに届ける本の支度もしよう。

aico.




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