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#24-085 Starbucks

どこにでもあるStarbucksに、
どこに行っても寄ってしまう。

県外から来たひとと、Starbucksで話していた。地下にある、景色の見えないStarbucks。向かいのお店は、下着屋さん。「ああいうお店で買ってるの?」と聞いてきた。レジの前も、ドリンクの受け取りも、列ができていた。

最近お気に入りになった、ブロンドラテ with オーツミルクに”チャイシロップ追加”のカスタマイズをオーダー。けれど、受け取ったドリンクにシロップは入っていなかった。オーダーは通っていたし、お金も払って(くれて)いたのに。

出来上がったドリンクを受け取るときに、予感はしていた。ドリンクを渡してくれた女性が、カップに貼ってあるラベルを確認したときに表情が止まった。そして、いつもなら言うはずの「シロップ追加」というカスタマイズの内容を言わなかったのだ。その時に「これはシロップ入ってないな」とおもった。的中した。
渡してくれる時に、必要以上に明るく振る舞ってくれていたことも気になった。「何も言ってきませんように」という想いが込められていたのだろう。これから何かのアトラクションにでも乗るのかとおもうほどの「台詞」と、とびきりの作り笑いだった。明らかに、わたしたちの前にドリンクを受け取ったひとへの対応とは違っていた。少なくとも、わたしはそう感じた。

もちろん、何も言わなかった。
わたしは、いつもそうだ。

ここで言わないことが
善なのか悪なのかはわからない。
善のようで、悪かもしれない。

ご馳走してもらったのに申し訳ないけれど、シロップを入れてもらいに行く気力はなかった。彼女の気持ちも汲んでおこう、ともおもった。何より、この列ができている中で、そんなことを言っていくのも気が引けると感じた。誰に迷惑をかけるでもないし、迷惑をかけられているのはこちらの方だというのに、どうして気が引けるのか。追加の料金を払っているのだから、相応のサービスを受けることはわたしの権利だ。だけど、ミスを責めるようなことはしたくない。もちろん責めるつもりはない。というか、頼んだものが出てこなかったことを伝えるだけで、責めるわけではない。「伝える」ことは「責める」ことと同じなのだろうか。否、違う。それでも、わたしは言わなかった。
彼女は「気づいていないのだろうか」と、こころのどこかではらはらしていたかもしれない。「バレなくてよかった」「ミスを指摘されなくてよかった」と安堵していたかもしれない。「シロップを入れ忘れていたので作り直します」と、自ら言うことはしなかったことは事実。

ソイミルクでお願いしたけれど、ミルクで出てくることもあった。氷なしでお願いしたものが、氷たっぷりで出てくることもあった。だけど、そんなときでもわたしはわざわざ頼んでいたものと違うことを伝えることはしなかった。「あれ?これ頼んでましたか?」と、じぶんのオーダーが間違っていたかもしれないことを確認するために言ったこともあったけど、作り直してもらうことはなかった。捨てられちゃうのんもったいないんだもん。

ドリンク無料チケットとかをもらえたらありがたく受け取るだろうけれど、そんなものをもらったことは1度しかない。

何度オーダーを間違えられたことだろう。そんなことで腹を立てたりもしないし、アレルギーがあるわけではない。結局のところ、なんでもいいのだ。カスタマイズをしなくてもいいのだ。

”カフェアメリカーノにショットをプラスする”という謎のオーダーを教えてもらったので、今度行ったときには試してみようとおもっている。デカフェで。ドリップコーヒーよりも質が上がるらしい。ショットの追加を忘れられても、デカフェでなくても、気付ける自信は全くない。ドリップコーヒーとの違いに気付ける自信も。

というか、Starbucks cardに
512円しか入っていない。
ちょっと足りない。

aico.


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