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#23-233 ALEGRIA

忘れかけていたけれど、忘れていなかった。
ALEGRIAに行きたかったのだ。

公演は10月半ばまで。東京にも京都にも行ったし、今週末には、子どもが参加するイベントで神戸に行くことになっている。金銭的に、ALEGRIAに行くことはもう不可能だ。「連れて行ってあげるよ!」という方がいらっしゃったら、ぜひご連絡いただきたい(むすこも一緒にお願いします!)。行きたい。ものすごく行きたい。交通費とチケット代がほしい。どうしてわたしはこれほどまでにお金に余裕がないのか。どうして連れて行ってくれるひとがいないのか。

昨日の記事を書きながら、考えたことがある。
わたしは甘え下手だ、ということ。
誰かに何かをしてもらおうと考えることがほぼないのだ。東京に行ったときには、ホテルを1泊取ってもらって、Disneylandにも連れて行ってもらった。そんなことは数年に1度あるかどうか、だろう。それで十分ではないか、とおもわれるかもしれない。だけど、こういうことは、上を見る。上には上がいる。
どうしてわたしは、こっち側なのだろう。

わたしはここでも「give and give」精神を発揮する。じぶんではなく誰かに何かを贈ることに対して出費が多い。じぶんに買うのは我慢してでも、誰かに贈ることでそのひとが喜んでくれる方が嬉しいし、そういう使い方の方が価値がある、とおもっている。喜んでもらえているといいのだけれど。
とはいえ、収入が十分にあるわけではないので、ひとにものを贈っている余裕なんて、とてもではないけれどない。保険も税金も払わなければならないし、年末には車検も受けなければならない。そんな余裕もない。

その余裕のない中でも、やはり誰かに贈ることを考えてしまう。もうすぐぶどうのが旬になる。届けたい。安くはない。わたしはゴールドフィンガーが食べたい(今が旬?)。安くはない。
誰かのために、喜んでもらいたい、そう考えると贈ることを「しない」という選択にはならない。これはたぶん、わたしもしてもらったら嬉しいからなのだとおもう。逆に、してもらえなかったら残念に感じてしまう、ということもある。じぶんが残念におもってしまうかもしれないことは、相手も残念におもう可能性が高い。それも、避けたい。贈ることで、わたしの選択したものを残念におもわれることはないと信じている。というか、センスを問われるものは贈らない。自信がない。

Disneylandに関しては、「これが最後」とおもって「連れて行って」とお願いしてみた。わたしにとって、賭けだった。行くかどうか、当日までわからなかった。でも、行くことができた。感謝しかない。だけど、そこでも、いろいろと考えた。生涯寄り添える相手ではないひとに、いつまでも甘えてなんていられない。ALEGRIAにはきっと連れて行ってもらえない。言えない。

じぶんでどうにかできるようにしなければならないことはわかっている。この先、誰にも助けてもらえる保証なんてないのだから。わたしは、誰にも頼らず生きていくしかないのだから。

誰かに何かを「したい」なんか考えていてはいけないのかもしれない。ひとに喜んでもらおうなんてことも、考えていてはいけないのかもしれない。

一生懸命生きよう。
とにかく、毎日。
余計なことを考えず、
欲を捨てて生きよう。

いい人生にしていこう。

ALEGRIAには縁がない人生かもしれなくても。
(Alegria:日本語で「喜び」「歓喜」の意)

aico.

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