背丈ほどの石垣に囲まれた竹富島の「暮らしの距離感」
沖縄県の八重山諸島のひとつ、竹富島にお邪魔しています。たった2泊の滞在でしたが、石垣に囲まれた家屋は、これまで滞在したどの町とも異なる「暮らしの距離感」を教えてくれました。
人口340人の島には、年間50万人強の観光客が訪れるのだそう。島の環状道路はレンタサイクルで30分もあれば一周できる距離。きれいな海も素敵だけれど、島の中心にある集落と人々の暮らしに触れられるのがこの町の一番の魅力だと思います。
赤レンガの平屋建て
集落にある家はほとんどが平屋建てで、赤いレンガの上にはシーサー。一軒一軒が背丈ほどの石垣で囲われています。
石垣は家の正面だけが2mほど途絶えていて、家の入口の門構えになっている。そして、入口には、もう1つ、パーテーションのような石垣があるのが特徴的です。同じフォーマットの家が等間隔に並んでいるのがとても美しい。
田舎だとよく見かける表札が外からは見当たらないのもユニークでした。来訪者にとってはどれも同じ家に見えて、迷路にまよいこんだ感覚になります。
でも、島民の皆さんは、誰がどこに住んでいるのか、分かっているのかな。もしかしたら、シーサーが表札のような役割を担っているのかもしれない。ひとつとして同じシーサーの家はなかったから。
石垣がつくる「暮らしの距離感」
竹富島の暮らし方が「絶妙!」だと思ったのは、背丈ほどの高さの石垣と、入口の石垣パーテーションが作る隙間の存在です。
島の石垣は、私たちが歩いていると、ちょうど視線を遮るか遮らないかぐらいの高さに積まれています。だから、玄関や庭の中は見えたり見えなかったりする。見ようと思えば背伸びすれば見えちゃうし、見たくなければ視線を向けなければいい。暮らしぶりが「ソト」に見え隠れする、そのぐらいの「暮らしの距離感」が、面白い。
「ウチ」と「ソト」の境界線とは違うなにか
緩やかに「ソト」に開かれている感じは、パーテーションの隙間も同じ。自宅の入り口には「ついたて」があるだけ。つまり、開閉が必要なドアや、鍵をかけるような門がないんです。だから、家の中の様子は隙間から察することができます。
(写真上:庭の内側から見た石垣パーテーションはこんな感じ。)
もちろん、石垣の中が見えたとしても、玄関が開いているとか閉まっているとか、縁側が開放されているかとか、さらなる「ウチ」と「ソト」の境界線があるのだけれど…。
背丈ほどの石垣やパーテーションから伝わってくるのは、「島の中の暮らし」と「家の中の暮らし」は、「ウチ」と「ソト」の二項対立のような関係じゃなくて、何層かのレイヤー状になって連続しているような距離感だということでした。
「島の暮らし」と「家の暮らし」が連続している
私は、都会に暮らしながら、家の中と、暮らしている街と、働いている街と、働いている場所、それぞれに物理的にも空間的にも距離を置くことでプライベートを守ってきた感覚があります。でも、
自分自身の暮らしが、その土地の暮らし、つまり土地の文化や風土と連続しているというのは、本来なら当たり前のことなのかもしれません。
【二項対立で考えがちな概念】
「プライベート」と「パブリック」
「ウチ」と「ソト」
「自分の暮らし」と「街の暮らし」
これが、住居や都市の構造によって連続性をもっているのが竹富島
たった数日、自分の住む街を離れて、不思議な連続性のある「暮らしの距離感」を感じさせてくれた竹富島に感謝。また来ます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?