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秘境 有峰

北ア薬師岳 2926m へ折立から登りながら振り返ると有峰湖が光る。
いまこの底には本州最奥の秘境、「有峰」の集落が沈む。かってここは生活に疲れた人、ロマンを求める多くの人が憧れ、たどりついたユートピアだった。有峰は周囲を山で囲まれた千m以上の高冷盆地。越中富山から入るには和田川沿いの険阻な道か、飛騨からは峠を越える険しい道しかない。隔絶した土地だった。


明治12年に訪れた最初の外国人は
「13軒の村人全員が挨拶にやってきた。大人、子供らの誰もが痴呆じみた姿や顔をしていない。貧しいが幸福そうであった。外国人を見たのは初めてだったが、子供らはビスケットを喜んで受け取ってくれた」
と感想を述べている。

明治40年の富山県調査でも、
「同じ越中なのに村人の言葉が半分しか判らない。神を深く信じ各部屋に神棚がある。遠来の珍客に半飯と葛汁を振るまう習慣がある。男は夜は平家物語など読んでいる。女たちは唄いながら畑や山仕事をしている。まるで太古の生活である」
この秘境がだんだん世間に知れてくる。


昭和に入ると中河与一はベストセラー小説「天の夕顔」にとり入れた。主人公の青年が人妻に恋したが、添い遂げられぬ苦しさから山奥に逃避する決心をした。彼が選んだのが有峰だった。理由がこの世で最も遠い土地。当時の若い登山者の誰もが有峰をそんなイメージで見ていた。


夜深き山のいほりに夢さめて
空わたる月を消ゆるまで見し  中川与一

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有峰に入る山之上村の峠に歌碑がある。近代登山草創期に活躍した田部重治、小島烏水、深田久弥らも、この秘境の美しさと素朴な村人の様子に感動している。


だがこの秘境がダムに沈む日が近づいていた。


有峰盆地の地形がダム建設に適当であり、豪雪で得られる水量が豊富である。常願寺川の氾濫に困っていた行政は、治水と発電の両面から計画した。大正8年のことだった。翌年には有峰の山林を15万4千円で強制的に買い上げた。村人は12戸で分配し大正10年に全戸離村した。
平家の落人伝説を持つ秘境の終焉であった。そしてダムの建設が始まった。戦争時代をはさんで何度も工事は中断されたが、神武景気で産業用の電力不足が深刻となり、昭和25年に本格的工事に踏み切った。昭和31年~36年ごろは4千人もの作業員が従事していた。
ダムの完成は昭和36年2月10日。やがて貯水がはじまり、有峰は巨大な湖に沈んでしまった。

いま有峰湖の真ん中にある宝莱山、これは昔、村の中心にあった神社の裏山だ。

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