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ヤマボウシ

平成5年のことである。
『今年は何年ぶりかの花盛りよ、ぜひ見にきて…!』
朝明渓谷、伊勢谷小屋からこんな電話があった。いつも山行でお世話になってるオーナーのマダムからだ。
花盛りとは、小屋の庭にあるヤマボウシのこと。この樹は鈴鹿でもあちこちで見かけるが、こんな大木はめったにない。ヤマボウシは和名「山法師」と書く。白い十文字型の4弁の清楚な花は、総包片と呼ばれるもので花ではない。本当の花はその中央の頭状花序にある小さなものである。山法師とは、この白い総包片を僧兵の頭巾に見立て、丸い花の集まりを坊主頭に見立てたといわれる。


この総包片は初めは緑色をしており、やがて白色に変わり、散り際には赤い色が増してくる。
花も年によって咲いたり咲かなかったりするが、平成5年はどうしたことか、ほかの山野草や木々は花がほとんど咲かないのに、ヤマボウシだけは何十年ぶりかの見事な花だという。
『NHK テレビの取材もくるよ』
電話の声も弾んでいる。それを聞いて“たぶん綺麗な女性アナもくるだろう”
岳友の自称山男とも、よからぬ期待を少し持って出かけた。バスを降りて沢沿いの道を少し歩くと、やがて流れにかかる橋の向こうに小屋が見える。いつものように赤い屋根に目をやると
「ウーン、これは見事だな」
かなり離れたここからでも、純白な花をいっぱいまとったヤマボウシが1本。堂々と屹立しているのがわかる。はやる気持ちを押さえて急ぎ樹の下に立つ。まったく枝という枝、幹という幹に、それこそびっしりと白い花が咲いている。
『この小屋を開いてから何十年になるけど、こんな見事に咲いたのは初めてや』
樹の下から見上げてマダムが感激していう。
『まったく白い帽子は、僧兵の頭巾そっくりに見えるなあ』
集まった人々も口々に誉めそやしている。
『残念ながらテレビの取材は中止になったわ。はっきりは判らないけど、
その理由は個人経営の小屋にあるらしいわ。宣伝の片棒担いだとカンぐられ
るのがイヤなのかも知れないわ…』
これで美人アナ云々の期待は消え去った。


ヤマボウシは秋になると紅紫色の実をつける。
これが実に甘くて美味しい。子供のころは危険を承知で高い枝の先まで登り、この実をとったものだ。木の実が終わると紅葉のときがくる。この木の紅葉はしぶい深みのある黄色から、濃い紅色にまでバラエテイ豊かであり、渓谷に差し込む朝の逆光を受け、まばゆいばかりに輝く姿はまったく美しい。


平成25年の6月初旬。
花を期待して訪れてみたが、残念ながらあの年の数百分の1、ほとんど咲かなかったと、いってもよいくらい貧弱な花だった。

 【ヤマボウシ】


またいつか花咲く年もあるだろう。期待しよう。

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