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二村ピッケル

二村ピッケルの工房は豊田市にある。
制作者の二村善市氏は1931年3月31日、愛知県西加茂郡小原村(豊田市)に生まれた。
父は指物大工で小学6年までカンナ屑の中で過ごした。第2次大戦中は学徒動員でトヨタ自動車へ。配属先が旋盤の削鑿刃先バイトを作る鍛治工場。ここで初めて鉄と出会った。
戦後1946年、蒲郡の日本刀刀匠の藤原武則氏に入門し4年間修行。その後1950年に開業し現在に至る。

 長谷川恒男型の石突き


ピッケル制作は1960年、鋼の材質にどれを選ぶか…、多くの人々からアドバイスを受け、3年間の試行錯誤を重ねて、ようやくノーマル型ピッケルを完成し発売にこぎつけた。
長谷川モデルは1977年2月、スイスアルプスのグランド・ジョラス北壁冬季単独登攀に使用するため、長谷川恒男氏から特別注文を受け、そのイメージに基き制作した。そして登攀成功後に一般に提供を始めた。
かってヨーロッパアルプスなどにベント、ウイリッシュ Etc。手造りの鍛造ピッケルが沢山制作されていたが、いまは殆ど機械のプレスによる大量生産品となり、たんなる山道具になってしまった。


二村ピッケルは世界的にも貴重な手造り鍛造の美術工芸品である。二村の特徴はなんと言ってもその優美さである。たんに姿と形が美しいだけでなく、手にしたときのバランスが絶妙。
そしてアルプスやヒマラヤの高峰や氷壁登攀で見事に性能を発揮する。大量生産不可能の手造くりのため、世界中の登山家から注文に応じるのせい一杯。一般の登山用具店での店頭販売はない。
二村ピッケルのシャフトは木製、いまは貴重になってしまった北欧のヒッコリー材が使われている。某スキーメーカーから特別に提供されたものだ。そして銘名の藤原善則は刀匠の師匠から頂いた名である。

長谷川恒男型ピッケル


もう80才を越されているが、生涯現役をモットーにいまもピッケルを制作されている。
先日、世界7大陸の最高峰を登った石川富康氏と共に NHK―TV に出演されていた。

長谷川恒男記念庫の二村ピッケル


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