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「ここなら大丈夫、そう思えた。夫も、ムスコも、私も。」(後編)の巻

昼食を終え、会長さんの車に乗せてもらったカワグチ家。
駅に向かう前に、ちょっと寄り道!と会長さんの近所へと向かった。
学校から歩いて行ける距離に、賃貸で借り手を探している家があるそうだ。

「この家よ〜」と横を通り過ぎたら、ガレージ横の塀に登り植木と格闘している人がいた。どうやら、この家の主だ。
今は空き家になり、息子さんが八王子から時々様子を見に来ているようだ。会長は事情を手早く話し、家主に「ちょっと家の中見せてくれん?」と交渉してくれた。
いきなり!?ではあるが、こっちも手ぶらで帰るのも勿体無いのでチャンスではある。

「急にすいませ~ん」と、よそ様のお宅訪問させてもらった。
この家がねぇ、我が家の好みにどストライクだったんだわ〜。
昭和50年代の壁や天井のクロス、棚や飾ってある小物にトキメキがとまらない。
こ・れ・は・夫の心を動かすぞ〜と確信し、「好きな感じよね?」と聞くと、「いいねぇ」と夫。
二階も上がらせてもらい、ムスコのことはすっかり忘れて夫婦は「これステキ!」「こんなのある!」と浮かれまくる。

その間、ムスコは会長さんに子守をしてもらっていた。
家主さんも、珍妙な客を受入れて下さり良い方だなぁと思った。
他の物件を見てないけど、学校の近さと、大事にされている家、家具も使っていいですよの言葉に「この家に住む!」と迷いはなかった。

その後、近くに公園があるので寄ってみようか?と移動すると、小学校の子たちが沢山いた。
土曜参観を終え、お昼食べて、公園集合して遊んでいたようだ。
ムスコは公園で遊ぶ気満々で、滑り台へ駆け出して行った。
ホントは近所のほうき屋を見に行こうと思っていたのだが、公園で過ごすことを選んだ。
この選択が、今思えば正解だったように思う。

最初は男の子5~6人と、女の子7~8人だった。
男の子達はどこかに行ってしまったが、お姉ちゃん達がムスコと遊んでくれた。
ボールを蹴ったり、かくれんぼしたり。
かくれんぼは、会長さんも一緒にノリノリで遊んでくれた。

小3〜小5くらいの女の子達。
公園内にある水道で手を濡らし、会長さんに向けて手をピッピと払い、水滴を飛ばして遊び始めた。
会長さんを構いたくて、仕方がないように思えた。
ある子と会長さんが「結婚」の話になった。
「結婚してるのに、もう1回結婚できるの?」と聞いていた。
私は「それは重婚と言ってできないんだよなぁ〜」と心の中で思っていた。
そしたら会長さんは「俺さぁ、もっかい結婚したいんだよな」と言い出した。
それを聞いて女の子達は、そんなことして奥さんに怒られない?と聞いてきたもんだから
「じゃあ、あの人に聞いてきて?もっかい結婚していいかって」と冗談をいう会長。
奥さんの元に、一人の子が「会長さん、もっかい結婚したいんだって!」と告げたら、どーなったと思います?
会長婦人は「じゃあ、私はあなたと結婚するわ〜」とその女の子と腕を組んでいた。

なんじゃそりゃ~、と思いつつも、この人達はこうやって子どもらと接しているのか。
このやり取りが、決め手となった。
頭の柔らかい大人がそばにいれば、子ども達は窮屈な思いをしないで済むなと思った。
そんな中なら、ムスコはムスコらしく生きれるような気がした。

その後、高速バス乗り場まで送ってもらった。
高速バスは、渋滞に巻き込まれながら横浜へ戻っていく。
その間、私の頭の中は激闘を終えたボクサーのような気分だった。
本当に長く苦しい闘いだった。
何度も諦めそうだった。
ここで諦めたら、幼稚園行けなくなった事が無かったことになる。
あの哀しくて悔しい記憶を、プラスに変えたい。
これが根底にあって、刃をずっと自分に向けてきた。
まだまだ刃は外に向けそうになるけれど、やっと進む道を決めることができた。
「決心」をするための旅を私はしてたんだなぁ、と分かった。

夫に「移住でいいね?」と聞くと、「移住しよう」と答えが帰ってきた。
ムスコも「今日はチバにありがとだね」と手を合わせて拝みだした。

長くなりましたが、カワグチ家は4月から木更津に住みます。
「横浜のカワグチ」から「木更津のカワグチ」になっても、みなさま、引き続き応援よろしくお願いいたします。


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