その一言、本当に必要ですか?
インターネット社会が急成長し、わたし達の暮らしは便利になりました。
スマートフォン、パソコンがあれば、遠方の友人の様子を知ることができ、交流することができる。
暑い中、寒い中、雨に濡れることなく、自宅で仕事のミーティングを行うこともできます。
SNSを介して、友人、恋人と出逢うこともできる世の中です。
わたし達は、インターネットが普及して、
自由と情報を手にしました。
そんな中、インターネット内で飛び交う誹謗中傷は毎日、毎分、毎秒絶えることはありません。
その言葉で、心を痛め、毎日の暮らしが心から楽しめなくなり、頭の片隅にその言葉が残り、心から笑うことができなくなり、自分の人生を生きれなくなります。
心は病み、最悪の場合、自死の道を選ぶのです。
わたしも以前、誹謗中傷をされた経験があります。
開示請求をして、お相手が特定されたので
「何故、そんなことをしたのですか?」と質問すると、「芸能人にする感覚でしました。深い意味はなかったです。」「羨ましかったです。」などの回答でした。
ここで疑問だったのが、
芸能人になら、誹謗中傷しても良いのでしょうか?芸能人は心がないのでしょうか?
相手を傷つける、
その一言を、考え、入力し、コメント欄に残す。
それは本当に、あなたの人生にとって、相手の人生にとって、必要なことですか?
第二次大戦前、近代日本の小・中学校で
修身科を中心として行われた道徳教育、
【修身教育】にも記されていますが、
わたし達は、思いやりをもち、人に親切にし、困っている人がいたら手を差し伸べる。そんな当たり前なことが書かれています。
どのページにも、人を傷つけて良いとは記されていません。
最近、長男は日本の教育、政治の問題点を述べ、今後取り組むべき改善点を熱く語ってくれます。
「誹謗中傷は許されることではないけれど、その人達の立場になったら、そこが心地良い居場所なのかもしれないし、そうだとするなら、そもそも日本の教育と政治に根本的な問題があるから、そこを変えなければいけない。だったら、僕がそのシステムを信頼できる仲間達と変えて行く。」と話しています。
生きていて現実に絶望する日があっても、
性悪説ではなく、
わたしと長男は性善説を信じています。
先ほどの【修身教育】には、こうも記されています。
[人の過ちを許せ]
人は誰でも過ちをおかします。
わたしもあなたも、これまで何度も過ちをおかしたはずです。それは、みんな同じなのです。
もう一度、よく考えて欲しいのです。
その一言、本当に必要ですか?
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